ご朱印びよりっ

ご朱印集めたり、イラストを書いたりと。
ご朱印びよりっ TOP  >  神社

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --年--月--日 --:-- ] カテゴリ:スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

【25/10/13】子守神社

船橋大神宮から千葉街道を東にひたすら走ると
「検見川神社」という矢印が左手側に見えたのでそちらに回ってみたところ
まだまだ全然すぐ近くじゃなかったみたい…紛らわしい!w
千葉街道を少し北に上がるだけで結構な高低差がある。
その昔はこの辺まで海だったんだろうか。
折角なので京成千葉線沿いに幕張を目指そうと走っていると
「神社」という字が見たのでちょっとお参り。

10:53 子守神社到着

H25101302幕張子安神社

■子守神社
創建:1194年
祭神:奇稲田姫命 素盞嗚尊 大己貴尊

「こもり」ではなくて「こまもり」神社。
1194年、大須賀胤信によって創建されたとのこと。
大須賀胤信は房総平氏宗家である桓武平氏良文流千葉氏の一族・大須賀氏初代惣領です。
千葉氏の一族ですね。
母は秩父重弘の娘とあるので、千葉氏と秩父氏どちらも平氏の末裔なので
政治的な結びつきも強かったと想像できます。
古くは素加大王神社と呼ばれ、胤信が馬加城内に創建したものが
1508年、現在地に移されました。
「馬加(まくわり)」が転じて、「幕張」になったのかな。
素加大王神社は大須賀氏に通じ、
また須賀神社も連想できる。
須賀神社は牛頭天王を祭神とする祇園信仰の神社なので
素盞嗚尊を祭神としていると思われます。
社名の「子守」は「下総三山の七年祭り」の中での
子守神社の役割が「子守」だからでしょうか。

DSC_1747.jpg

神社は近年修復されたようで全体的に綺麗です。
こちらにも数組の七五三客が。
家族連れの邪魔にならないようにお参りを済ませご朱印をお願い。

再び千葉街道に戻って検見川神社を目指します。
スポンサーサイト
[ 2014年03月02日 17:27 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)

【25/10/13】意富比神社

秋はサイクリングに最適な季節です。涼しいし。
というわけでしばらくご無沙汰だったロングライド。
ロングライドっていうとドロップハンドルにサイクルジャージっぽいので
個人的には「中距離ポタリング」といった気分ですが。
自分の自転車時の服装は「vol.5 甲州街道を行く」の真島さんのような格好です。
未だにクリートすら付けていませんし…

この日は天気が良かったので100キロを目標に。
うちから片道50キロで程よい神社…と考えると
横浜までは大体50キロ、同心円上にある場所だと川越、立川、野田、千葉辺りかな、
ということで千葉の千葉神社あたりまで走ることにします。

隅田川、荒川、新中川、江戸川と川を幾つか越えて千葉入り。
千葉街道に沿って走ります。
途中、本八幡で葛飾八幡宮がありますが、以前お参りしたので今回は見送りです。

10:13 意富比神社到着。

おかしいなぁ、2時間くらい掛かっちゃった…

H25101301船橋大神宮

■意富比神社
創建:景行天皇40年(西暦110年)
祭神:
主祭 天照坐皇大御神
配祀 万幡豊秋津姫命・天手力雄命

通称「船橋大神宮」、こちらのほうが通じやすいですね。
駅があるくらいだし。
「意富比(おおひ)」の由来には諸説あるようですが
古代の有力豪族である意富氏から来てるのかな。
この一体を治めた千葉氏は多氏の部曲の多部の後裔であるともされてるし。
戦国時代まではこの地域で勢力を保っていた千葉氏系の豪族富氏が宮司をつとめており、
現在でも千葉姓に改名し、同族が宮司をつとめているそうです。
千葉氏は桓武平氏良文流とされていますが、
古代豪族の多氏の部曲の多部、また知々夫国造の出自とも言われており
詳しいことははっきりとしないようですね…
桓武天皇の孫である平高望が上総介に任じられたことから
上総国に平氏が根付くようになり、
坂東平氏として関東に一大勢力を作るようになるわけだけど、
それ以前に各々の地を治めていた諸豪族を乗っ取っていったと考えると
すごい繁殖力(?)だなぁ…
地方の諸豪族も朝廷と関係性が高い平氏と結びつくことで
その土地での地位を高めてもいったのだろうけど。

また、元々この地には地方の太陽神である「意富比神(大日神)」が祀られ、
特に東京湾の漁民の信仰を集めていたとのこと。
その土地に元より祭られていた神を「太陽神」としていたということは
古くは上総に強大な権力者がいた証拠ですね。
漁民からの信仰が篤かったことからも、
意富比神社の辺りまで海が来ていたとも考えられます。

万幡豊秋津姫命は別名・栲幡千千姫命で機織の神。
上総国の由来も、よき麻の生きたる土地というところより称したとされる「総(ふさ)の国」
から来ているので古代より機織と関係が深い土地、
隣接する海老川の居坐機を神格化したのかな。
海老川は古くは太白川(おおいがわ)と呼ばれていたそうです。
ここにも「オオイ」が。
ちなみに「総の国」を上下に分けて「下総」「上総」になりました。

意富比神社には中世の文書が多数保持されていましたが、
明治維新時における船橋の戦いで社殿と共に焼失してしまったそうです。
非常にもったいない。
千葉氏の由来に関する文献等も残っていたかもしれない。

DSC_1735.jpg

やけに境内が混んでいると思ったら七五三シーズンでした…
うっかりしてたなぁ
あまり境内をうろうろしたり写真を撮っていると
不審者扱いされかねないので参拝してご朱印を頂いて
早々に撤退。

[ 2014年03月01日 11:24 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)

【25/09/20】出雲大社先島本宮

三日目は西表島でマングローブとか滝を見に行きたかったけど
如何せん、大型台風が近づいていたせいで船が出ず。無念。
小浜島と竹富島への船は出ているというので
竹富島に行ってみました。
港からは観光バスが出ていて、島の真ん中ら辺にある牛車乗り場へ。
牛車でぐるっと島巡り。
赤レンガの屋根に石積みの垣根、珊瑚の白い砂の道という
古い沖縄の景観を残しているんだとか。
30分くらいで回り終わると自転車を借りて島巡り。

竹富島には日本日本最南端に位置する喜宝院という寺院があるので、勿論お参り。
喜宝院は浄土真宗の寺院でした。
念の為ご朱印をお願いできるか聞いてみたけどやっていないとのこと。
喜宝院は竹富島の民芸品・生活用品を展示する博物館ともなっていて
いろいろ貴重な文化財を見させていただきました。
文字がない時代の戸籍や冠婚葬祭のときの引き出物の管理のために
イグサのような植物の茎(なんの植物だったか忘れた…)を使っていたのに驚き。
出土した瓦やら土器、昔の貨幣やらいろいろ展示されています。

遠くに来たからにはちゃんと何か食べないと、と
この旅3度目の八重山そばを頂く。
昼は常に八重山そば食っているな…
竹富島は石垣とはまた少し違い、
島胡椒(ぴーやし)を振りかけて頂くのがいいらしい。
独特の風味がしますな。
ちなみに前の日に暴飲暴食しすぎて、この日はちょっとお腹の調子が悪かったけど
お腹は治るけど、ここを食いっぱぐれたら次にいつこれるか分からないので
胃腸を気にせず、食事をします。

沖縄で神様を拝む場所を「うたき(御嶽)」と呼ぶのですが
竹富島にも集落ごとに御嶽があるようです。
自分達も幾つかお参り。

12時になったので島から離脱。
石垣島に戻って再びドライブ。
石垣島には幾つか鍾乳洞があるというので
そう遠くない八重山鍾乳洞動植物園へ向かう。
ここがまぁ…しょぼいw
動物園というわりには既に手入れがされておらず
見かけた動物は烏と鳩くらいですよw
あとは鴨。
植物はそれなりに南国然としていて見る分には悪くないけど
森の中は湿度が高くて汗だくに。
島自体は雨が降ったり止んだりでしたが、風が通るため
(台風が来ていたのもあったけど
比較的からっとしていて軽く汗ばむ程度だったのだけれど
ここは湿度が酷かったなぁ。。

鍾乳洞を見終わったけど時間にまだ余裕があったので
お願いして神社に連れて行ってもらうことに。
宮良地区に出雲大社宮雲殿という神社を事前にチェック済みだったので
行ってみたけどそれらしいものはなく…
気を取り直して白保地区の出雲大社先島本宮へ向かいます。
向かったはいいものの、グーグルマップと所在地がどうも一致しないw
概ね当たってはいるんだけど…
と、車でうろうろしながらなんとか到着。

15:54 出雲大社先島本宮到着

H25092101石垣島出雲大社

■出雲大社先島本宮
創建:不明
祭神:大国主命(推定)

なぜここに出雲大社があるのかは一切分かりません。
由来書きもないし、祭神も出雲大社だからおそらく、です。
調べてみたけど、そもそもこの神社をお参りした人の記事があまりありませんw
「明和の大津波」の際に分社されてきたというので
1771年4月24日の八重山地震よりは後の創建ということかな。
ともあれ、ここが日本最南・西端だと思っていたのですが
与那国島にある十山神社という与那国の御嶽の総本山的な神社で
ご朱印が頂ける、という噂…
実物の画像を見ていないのでなんともわかりません。
いつか与那国島や宮古島にもいってみたいなぁ。

DSC_1133.jpg

真白な鳥居をくぐって境内へ。
境内には珊瑚を使った灯篭がありました。
さすがに他所では見たことがないなぁ。
お参りに来たけど拝殿は閉まっているので
ここも誰もいないのかなぁとちょっと拝殿をうろうろしてたら
裏手の扉に靴が並べてあったので
どうやら宮司さんがいるのかな?と声を掛けてみる。
5回くらい声を掛けたら奥から宮司さんが出てきました。
ご朱印をやっているのか伺うと、どうやら書いてくれるらしい。
待つこと15分…ご朱印を頂きました。
琉球の暦を調べていたら時間が掛かってしまった、とのこと。
玉串料は500円でした。

レンタカーを返却してホテルへチェックイン。
この日の晩御飯もお魚。
さすがに三日目になると観光旅行も疲れるな…
胃腸の調子もいまいちだったので軽く飲んでホテルに戻って就寝。

最終日は一番の便で那覇に戻って首里城観光。
首里城は、なんかイメージとは違った…
14時には東京への便に乗るので那覇観光は半日だけ。
沖縄旅行といいながら、那覇は首里城のみの観光でした。
那覇にはいくつかご朱印を頂ける寺社があるので
またゆっくり観光したいなぁ。

帰りの飛行機は窓際だったので景色も愉しめました。
空から見る富士山もいいものだなぁ。

と、こんな感じで2013年の夏休みは石垣島旅行を堪能しました。
また行きたいなぁ。
[ 2014年02月28日 20:36 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)

【25/07/06】車折神社

梅宮大社をお参りし、猫と戯れて満足したので次の目的地へ。
というほど目的地もないんですが…
このまま嵐山まで走って周辺散策をしようかとも思ったけど
ちょっと天気が曇りだしてきたし
日帰りだしなぁ…
まだお参りしていない車折神社が北へ1キロくらいのところにあるので
ちょっと行ってみることに。

12:55 車折神社到着

H25070602車折神社

■車折神社
創建:1189年頃
祭神:清原頼業公

祭神は清原頼業で、頼業が1189年に亡くなると、
清原家の領地であった現在の鎮座地に廟が設けられ、
後に、頼業の法名にちなんだ「宝寿院」という寺が建立されたことが始まり。
宝寿院は後に天竜寺の末寺になりました。
清原頼業は平安末期の儒学者。
藤原頼長・九条兼実などにその実務と学識を認められ、
高く才能を評価されていたそうです。
清原氏なので天武天皇の皇子である舎人親王の子孫ですね。

「車折」の由来は、ある人が牛車に乗ったまま社前を通った所、突然車が裂けてしまったためとも、
後嵯峨天皇の大堰川遊幸の際、社前で突然車が前に進まなくなったので、
不思議に思って社の者に問うた所、頼業公を祀ると答えがあったので、
還御の後に「車折大明神」の神号と正一位の神階を贈ったためとも言われているそうです(wiki
社名の由来だというのにどうもはっきりしませんね。

境内には芸能神社という天宇受売命と祭る神社もあり
芸能人が多くお参りに来るそうです。
よくテレビでもやってますね。

DSC_8776.jpg

テレビで映る回数も多いからか、それなりに参拝客がいましたが
中心からも嵐山からもちょっと離れているので
混雑というほどではなかったです。
拝殿のところでは中国人(?)のお姉さんが必死に自撮していました。
海外でも有名なのかな。

結局この日は車折神社を最後に駅まで戻って自転車を返却。
東京に帰ってからいつもの店で飲んだくれ。
これで新撰組に関する史跡も充実したかな。
1冊の本を出すのに会津と京都まで日帰り旅行してしまったので
印刷して仮に完売しても完全なる赤字です。
しかも完売してないし…orz
みんな新撰組は好きじゃないのかな;;
[ 2014年02月22日 17:59 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)

【25/07/06】梅宮大社

二条城周辺をぶらっとして、さてどこ行こう…
二条通、三条通、四条通とちょっとずつスライドしながら西に走って
嵐山辺りまで行こうかなと思って走ってみたけど
やっぱり慣れない自転車だと疲れるのと速度も出ない。
どこかのパーツの噛みあわせが悪いのか、
ずっとカラカラ音がするし。故障じゃないんだろうけど。
途中で梅宮大社を発見して参拝。

13:33 梅宮大社到着

H25070601梅宮神社

■梅宮大社
創建:天平年間(729年-749年)
祭神:
本殿 酒解神 酒解子神 大若子神 小若子神
相殿 嵯峨天皇 橘清友 橘嘉智子 仁明天皇

酒造の神、子授け・安産の神として信仰されている神社。
県犬養三千代により橘氏一門の氏神として山城国相楽郡に創建されたのに始まります。
三千代は別名・橘三千代で奈良時代前期の女官。
県犬養氏は屯倉などの守衛に当たる犬養部を統率した伴造4氏族の一つで
大和朝廷の直轄領である屯倉の守衛・管理を職としたため朝廷直轄地を意味する県を犬養に冠したとのこと。
三千代は天武天皇から元正天皇までの五朝に歴任し、
元明天皇から天武天皇の代から仕えていることを称されて杯に浮かぶ橘とともに橘宿禰の姓を賜り、
橘氏の実質上の祖となりました。
しかしこの時代に、女性で賜姓されて祖になるのは珍しい。
三千代は敏達天皇系皇親である美努王と結婚して、
橘諸兄、橘佐為、牟漏女王らを生みました。
橘諸兄が初代橘氏長者で聖武天皇を補佐をした人物で、
右大臣、左大臣、正一位と出世しましたが、
聖武上皇の病気に際して酒の席で不敬の言があったと讒言され失脚しました。
牟漏女王は藤原不比等の次男・藤原房前に嫁ぎました。
三千代は美努王とは離別した後、藤原不比等の後妻となり、
光明子を生みました。
光明子は聖武天皇と結婚した光明皇后です。
こうみると橘氏だけではなく、天皇家や藤原氏とも関係の深い神社です。

本殿の祭神である酒解神は大山祇神の別名で、初めて酒を作って神々に献じた酒造の祖神。
酒の神と言うと奈良県桜井市の大神神社が酒造りの神様としては有名ですが
梅宮大社も酒の神で有名らしい。
境内には奉納された酒樽も積まれていました。
酒解子神は木花咲耶姫命の別名で酒解神の御子神。
大山祇神と木花咲耶姫命に親子関係が有るからかな。
江戸時代後期以降の後付じゃないかと勝手に推測。
大若子神は瓊々杵尊と同一視され、酒解子神の夫で
小若子神は彦火火出見尊と言われ、酒解子神と大若子神の子供。
別名のほうは神話の通りの人間関係ですが、
自分はこの「酒解神」は太秦の神「大酒明神」だったのではないかと推測。
ちなみに秦氏が記紀に初めて登場したときの人物の名前は秦酒公で、
雄略天皇15(471)年、日本各地に分散していた秦氏の部民を
統括することを雄略天皇から許され、「禹豆麻佐」姓を賜った人物です。
秦氏の祖とも言える人物ですね。
梅宮大社は平安京遷都と共にこの地に鎮座したとされますが
この地は秦氏の本拠地である蜂岡からも程近い場所のため、
元は秦氏の土地で、その土地の一部を橘氏が譲り受けて遷座したとすると、
本殿の酒解神親子は秦氏系、大若子神親子が橘氏系として祭ったんじゃないかと想像できます。
国学が盛んになると、正体不明の神様には
記紀に載っている神と同一視していく作業が行われたのではないだろうか。
根拠はないですがw
橘氏と秦氏に明確な関係性が見つかればもっと考察が先に進みそう。

相殿は平安時代以降の橘氏と血縁関係にあった天皇を祭ります。
嵯峨天皇の皇后が橘嘉智子で、その子供が仁明天皇。
橘嘉智子の父が橘清友です、
本殿の神と対を成すような関係ですね。

酒解神-大山祇神-橘清友
酒解子神-木花咲耶姫命-橘嘉智子
大若子神-瓊々杵尊-嵯峨天皇
小若子神-彦火火出見尊-仁明天皇

と系図をトレースできるようになっています。
意図的にこうしてるんだとは思いますが…
橘嘉智子は嵯峨天皇の皇后で、別名・檀林皇后、梅宮大社をこの地へ鎮座した人物であり
橘氏出身としては最初で最後の皇后でもあります。
仏教に篤く帰依し、嵯峨野に日本最初の禅院・檀林寺を創建したことから
檀林皇后と呼ばれたとのことです。
檀林寺はその後、廃寺となり、その地には天竜寺が建てられました。
嵯峨天皇の説明は割愛しますが、
死刑を廃止した天皇ですね。
別に人権がうんたら、慈悲深い云々というわけではなく
死に依る穢れを恐れたからではないかと思います。
逮捕・捕縛してからの死刑はなくなりましたが
逮捕途中で殺してしまうケースは黙認されていたので
アメリカの死刑を廃止している州と似たような感じですね。
ともあれ、嵯峨天皇の時代から表面上は安定した「平安」な時代が始まったともいえますね。

ちなみに、橘嘉智子が梅宮大社の砂を産屋に敷きつめて仁明天皇を産んだことから、
子授け・安産の神としても信仰されるようになりました。

別当寺は橘氏の氏寺である井手寺で今は廃寺になっています。
621年、山背大兄王の本願により建立され、
731年、橘諸兄により上井手大地南端に、母・橘三千代の一周忌に因み
橘氏の氏寺として再建されたといわれています。
場所は京都府綴喜郡井手町にあったそうなので京都に遷座する前は
梅宮大社もここ周辺にあったのではないだろうか。
その地のすぐ近くには諸兄の墓もあります。

DSC_8718.jpg

結局お昼ごはんを食べていないけど神社へお参り。
境内を散策し拝殿でお参り。
ご朱印をお願いすると、どうやら神事をしていたようで
少し時間がかかるとのこと。
社務所近くをうろうろしていると神社の飼い猫だろうか、
数匹がうろうろしていたので可愛がる。
呼び寄せてちゃんと来る猫は良い猫だ。
逃げる猫は残念だ。
自分になついていたというよりは、
地面に置いた自分のリュックになついていた…
シャッターチャンスが上手く作れず、無念。
[ 2014年02月15日 14:49 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。