ご朱印びよりっ

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【25/2/9】仏法紹隆寺

頼岳寺をお参りし道なりに上諏訪駅を目指す。
途中、頼重院をお参りしたけど誰もおらず。
読んで字の如く、諏訪頼重の菩提寺。
諏訪頼重は諏訪に侵攻してきた武田信玄に滅ぼされ、
戦国時代の諏訪氏は終焉を迎えます。
武田家と諏訪家は長く抗戦を続けたものの親の代の
武田信虎と諏訪頼満によって和睦されましたが、
信玄の代に再び侵攻されてしまいました。
諏訪への信仰の篤かった信玄は諏訪の祭祀を蔑ろにし
戦に没頭した頼重が気に入らなかったとか何とか。ほんとかな。

さて、目指すは仏法紹隆寺。
今回の諏訪旅行で一番行ってみたかった寺院。
諏訪大社よりここが行きたかったのですw

H25020904仏法紹隆寺

■鼈澤荘厳山 大虚空蔵院 仏法紹隆寺
創建:806年
宗派:新義真言宗
本尊:薬師如来

創建は古く、征夷大将軍の坂上田村麿が諏訪大明神へ蝦夷征伐の
戦勝報告の際に、「神宮寺」と共に開基されたとのこと。
その後に空海が入山し、神宮寺を諏訪での真言宗の布教の寺、
仏法紹隆寺を修行の寺として差別化されていきました。
戦国時代までは諏訪大社の別当として、
江戸時代は諏訪高島藩の祈願寺として篤い信仰を受けました。
明治になると廃仏毀釈によって神宮寺は取り壊されましたが
神宮寺内の仏像は仏法紹隆寺に運び込まれて安置されているそうです。
諏訪大明神の本地仏である普賢菩薩像もこちらに。
普賢菩薩像は本堂ではなく、新たに設けられた
普賢堂内に安置されています。
さすがに拝めませんでしたw

ちなみに神宮寺時代にあった普賢菩薩像は
武田家へ侵攻した織田信長によって破壊されてしまったそうで
残された像の台座の白像部分は戦国時代以前のものだが
像自体は以後のものであるとのこと。
信長はいろんなところで文化財を壊してるなぁ。。
仏法紹隆寺には両部大曼荼羅も納められているみたいだけど
どういったものなんだろうなー
自分の上社が胎蔵界、下社が金剛界説を裏付けたいw
(まぁ逆かもしれないけど
普賢菩薩は金剛薩埵、密教の第二祖とされるほどなので
真言宗の中では大日如来を祀る高野山に次ぐNo2的ポジションとして
大事に扱った、のかな。

DSC_3699.jpg

境内に入ると2本の大きな銀杏が。
樹齢は300年ほどとか。
雌雄一対なのか、結構銀杏が落ちているw
お堂をお参り。
地紋は四つ足の梶の葉紋なので上社かな。
社務所でご朱印をお願いすると快諾いただく。
ここもご朱印を頂ける情報がなかったのでよかった。

ご朱印を頂いているうちに境内を散策。
鼈澤荘厳山というだけあって手水に亀が。
また、庭が有名ということなので庭を拝見。。
がしかし雪が積もりすぎで楽しめずw
「暖かい時期にまたいらっしゃってください」と言われてしまったので
また機会があれば伺おう。
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[ 2013年02月28日 00:09 ] カテゴリ:寺院 | TB(0) | CM(0)

【25/2/9】頼岳寺

茅野駅に戻って駅前でタクシーの運転手の運転手オススメの蕎麦屋で
お蕎麦を頂いてから上諏訪駅まで散歩。
20号沿いをまっすぐ歩けば着くのだけれど
途中で千鹿頭神社があったのでお参り。
ご朱印はなし、集落の祠といった感じ。
千鹿頭神社から道なりに500mくらい歩けば頼岳寺。
ここはノーチェックだったけれど折角なのでお参り。

H25020903頼岳寺

■少林山頼岳寺
創建:1631年
宗派:曹洞宗
本尊:釈迦如来

江戸時代になっての開祖なので諏訪の中では新しい寺院。
「鵞湖禅林」と呼ばれ、諏訪湖の形がガチョウに似ているというので
諏訪湖の別名「鵞湖」から。
開基は高島(諏訪)藩初代藩主の諏訪頼水。
諏訪頼水は諏訪大社上社大祝の直系諏訪氏。
江戸時代に入ると上野国総社藩に移封され家督を譲られて藩主に。
関が原の戦いでの功績によって高島藩に復帰。
1631年に群馬県雙林寺の大通関徹を招き、諏訪家の菩提所として開創したのが始まりで、
頼水が総社藩主時代に縁があったのかな、きっと。。

頼岳寺は藩の菩提寺になったわけですが、
元々諏訪氏の菩提寺は東にある永明寺。
逸話として、永明寺に逃げ込んだ罪人を頼水が引き渡すよう要求したところ
特権を盾に僧侶が罪人の引渡しを拒んだため、
寺院を焼き払い、罪人の首を撥ね、
匿った僧侶も処刑し、その後に新しい菩提寺として頼岳寺を建立したとか。
1630年頃というと、既に寺院諸法度(の曹洞宗法度)も制定されて、
寺院の特権も戦国時代に比べれば大幅にカットされていたのかなと思うけど、
武士が武断政治から文治政治へシフトできていなかったように
僧侶もまだ戦国時代の名残があったのかな。

寺紋は諏訪大社上社と同じ「四本足の梶の葉」。
下社は「五本足」と見分けがつくようになってます。
ちなみに頼水は6歳で大祝になってますが、
いつの頃からか大名家と大祝家に諏訪氏は分かれていき(3代の頃かな
明治時代には諏訪大名家は華族として残りますが
諏訪大祝家(諏方家)は徐々に屋敷や土地を縮小され、
平成になって完全に途絶えてしまったそうです。
神代から続く現人神の家系が途絶えてしまうことはとても残念。
千代田の名家には永劫残って頂きたいものです。

DSC_3664.jpg

階段を上ると「鵞湖禅林」が掲げられた山門があり、くぐると境内へ。
特にご朱印をいただける情報も事前になかったので
社務所で伺ったところ頂けるとこと。ありがたやありがたや。
ご朱印を頂き、境内のお手洗いを拝借。
屋外であるにも係わらず、お手洗い内に暖房を付けていて、
勿論凍結対策もあるのだろうけれども、
暖かいお手洗いを使えるなんて、なんと素晴らしいと感動。
寺社巡りしているとオススメの神社やお寺はどこかと聞かれることもありますが、
自分は常に「トイレが綺麗なところ」と答えてますw
綺麗なトイレを維持できるだけの規模であったり、
参拝客への配慮が行き届いているということ。
頼水寺はそういう意味で自分の中では高得点ですw
[ 2013年02月24日 17:45 ] カテゴリ:寺院 | TB(0) | CM(0)

【25/2/9】諏訪大社上社前宮

上社本宮と法華寺は隣接しているが、
前宮は少し茅野駅に近い。
途中、守矢資料館に寄ろうか悩んだけど、
午後からは茅野駅から上諏訪駅まで歩こうと思っていたので
少し巻かないと。
すでに11時を過ぎていた。

前宮は諏訪祭祀発祥の地ともされる古い神社。
個人的には諏訪大社の四社の中で一番お気に入り。
なぜなら世俗的じゃないからw
自分みたいな好事家が行く時点で氏子や信者からしたら
世俗的なのかもしれないけど。。

H25020902諏訪大社上社前宮

■諏訪大社上社前宮
創建:不明
祭神:八坂刀賣神 (本地 千手観音)
   御左口神(御社宮司神)

創建は不明、本宮よりも古いともされてます。
駐車場から社務所を横目に鳥居をくぐると
まずは十間廊が左手に見えてきます。
十間廊は上社の神事「御頭祭」が行われる施設で、
「御頭祭」鹿の頭を75頭、他鳥獣魚類をお供えする行事。
75頭の鹿の頭の中には必ず耳が裂けたものがあり、
「高野の耳裂鹿」と呼ばれ、諏訪の七不思議のひとつです。
今は剥製の鹿の頭を並べているだけだったかな。。
神聖な神社でなんとも血なまぐさい神事で、穢れを嫌う
日本の神道的ではない行事というところが面白い。
諏訪には古くより「鹿食免(カジキノメン」という札があり、
獣肉食が禁じられていた江戸時代に、この札を持っていれば
狩猟し食しても良いと言う免罪符のようなもの。
まぁ「サクラ」だ「ボタン」だとかいって獣肉を食す文化は
江戸時代にも残っていましたけども。。
ちなみに諏訪では狩猟の神を「千鹿頭(チカト」神といい、
この神事を連想させる名前(当て字)になってます。
今でも諏訪にはいくつか千鹿頭神社という千鹿頭神を祭る神社もあり、
千鹿頭神は建御名方神の子供とも言われています。

と、日本でも珍しい神事を執り行う場所が十間廊。
十間廊は別名、神原廊とも呼ばれ、
そもそも前宮は諏訪の現人神たる大祝の住居「神殿」があった場所で
周辺一体を神原と呼んだためか。

十間廊を過ぎると右手側の巨木の下に祠が見える。
そこが「御室社」と呼ばれ、御室神事を行った場所。
==
中世までは諏訪郡内の諸郷の奉仕によって半地下式の土室が造られ、
現人神の大祝や神長官以下の神官が参篭し、
蛇形の御体と称する大小のミシャグジ神とともに「穴巣始」といって、
冬ごもりをした遺跡地である。
旧暦12月22日に「御室入り」をして、翌年3月中旬寅日に御室が撤去されるまで、
土室の中で神秘な祭祀が続行されたという。らしい。コピペ。
==
まるで蛇が冬眠するがごとき神事です。
前宮はおそらくこの「御室社」がもっとも神聖だったのではないかと感じるけど、
時代が進むにつれて御室神事は廃れ、
他の社同様に拝殿を拝む形になったのかな。

そこからは少し参道、というか農道?を上る。
左手には諏訪湖へ流れる水眼川。
水の流れは清らかで、神社と相俟って神聖に見える。
途中で水飲み場もあるので勿論頂いた。
うん、冷たいw

高台の拓けたところに拝殿がありお参り。
拝殿は守屋山を拝むように配置されている。
本宮と違って分かりやすくていい。
地図で位置を見ると山頂というよりは杖突峠、
もしくは守屋山神社へ向いているようにも見える。
ともあれ、守屋山を信仰する形に変わりはないか。。

祭神は建御名方神の妻で八坂刀賣神。
上社を建御名方神、下社を八坂刀賣神と一般には言われ、
「御神渡り」伝説の通り、上社の男神が
下社の女神の元へ通った道、とあるように
いつの時代からか八坂刀賣神は下社の女神になったようですが
上社前宮の神。
八坂刀賣神は古事記に出てこないため、諏訪独自の神なのか。
女神であり、建御名方神の妻であるという性質しか見えてこない。
八坂刀賣神は別名「八坂富神」とも表記し、
建御名方神も別名「建御名方富神」とも呼ばれ、
「建」は武神への冠のようなものなので
古くは「ミナカタトミ」と「ヤサカトミ」、
トミすらただの美称字ではないかとも思うので
湖の神である「南方神」と、豊作を願う言葉である「弥栄」の神、
一方は湖そのものを信仰し、その恩恵のような神だったのか。
まぁ空想ですけど。
「八坂」というと八坂神社でおなじみ祇園様も連想させる。
ともあれ、農耕文化から来る神様ではないかと思うので
前宮の祭神になったのは神道を整備した経過での後付なんだろうなぁ。
上社と下社の関係を密教の曼荼羅に見立て、
上社が胎蔵界、下社が金剛界という配置なのかなとも思ったけど
千手観音じゃどうもしっくりこない。

諏訪の明神は竜神である、という長野に伝わる説話もある。
蛇神であるミシャグヂと水の神である竜神信仰が混ざったものなのかな。

http://www.geocities.jp/sizen_junnosuke/ryudensetu8.html

甲賀三郎伝説というものがある。
南北朝時代に作られたの説話集「神道集」にある「諏訪縁起の事」で、
甲賀三郎諏方が冒険の末、諏訪明神になったというもの。
物語としては大国主命の「根の国訪問」の下りに似ている。
諏訪の町を歩くと土蔵に大黒様のイラストが描かれた家が目立つ。
大国主神は大黒様にも通じるので、
関連があるのかなぁ。
さてこの、甲賀三郎の嫁は春日姫といい、
大和の春日郡にある三笠山明神の春日権守の孫の春日姫であるという。
藤原氏とのつながりもあったのかな、
先の「藤の枝」は藤原氏との関係を表しているかも知れない。

DSC_3524.jpg

ちなみにグーグルのストリートビューでここまで見れることに驚いたw
[ 2013年02月23日 10:12 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)

【25/2/9】法華寺

諏訪大社上社本宮の南側、すぐ近くにある寺院。
何度か本宮にお参りしているけど気付かなかったなぁ。
どこに行くにも、事前に調べてから行かないとだめですな。

H25020902法華寺


■鷲峰山法華寺
創建:815年
宗派:天台宗→臨済宗妙心寺派
本尊:釈迦如来

こちらの本堂は平成11年に放火が原因で焼失し、
平成17年に再建されたので見た目も新しい。
自分が過去、本宮にお参りしたタイミングでは本堂もまだ
なかったんだなぁ…だから気付かなかったのかということに。
どんな寺社でも焼失からの再建という話を聞くと
氏子檀家に愛されてきたんだなーって感動します。

法華寺は開祖は最澄という言い伝えがあり、
先の小坂観音院は空海なので2台宗派の開祖揃い踏みです。
それだけ諏訪の地は霊場として有名だったんでしょう。
天台宗の言い伝えは少ないとか、そんなことないですね。。
諏訪大社を真言宗と天台宗が二分していたわけですが
どこかに境界があったのかなぁ…
戸隠みたいに山を挟んで天台と真言という名残があると
分かりやすいのだけど。

法華寺は諏訪大社の別当のひとつ。
この地域に「神宮寺」という地名があるとおり、
ここ周辺一帯が上社の神宮寺として4つの寺院に8つの院坊、
多くのお堂を抱える一台伽藍だったそうですが
明治の神仏分離令により多くを失いました。
建御名方神の本地仏である普賢菩薩を祀る普賢堂も有し、
諏訪大社上社本宮の拝殿は普賢堂を拝んでいたともいわれてます。

鎌倉時代になると上社大祝の諏訪氏も武装し神党という
武士集団を形成するようになります。
武士の成り立ちは詳しくは置いておくとして、
多くは地方へ赴任した源氏平氏藤原氏の出の比較的低い身分の国人が
自分達の領地を守るために武装化して行き、武士となったケースが多い中、
ここ諏訪の地はそうした赴任貴族ではなく
諏訪大社の現人神が武装化するという珍しいケースです。
まぁ現人神自体、天皇家くらいしかないわけですが…
諏訪氏は執権北条家と強く結びつき、中央での発言権を強めていきます。
諏訪から「鎌倉道」という鎌倉へ伸びる街道があるのもそのためか。
そうして諏訪盛重が建長寺を開祖でお馴染みの蘭渓道隆を招き、
法華寺を臨済宗へ改宗させて今に至ります。
そのため諏訪の地には臨済宗の寺院も多いです。

DSC_3454.jpg


諏訪大社周辺はご朱印蒐集家も神社ばかりで寺院情報が少なく
はてここでは頂けるのか、とお参りするたびに迷いましたw
本宮から前宮に向かう途中には安国寺という諏訪円忠によって
建立された臨済宗の寺院もあるのですが
頂けるのかわからずお参りせず。。
まずは行って見ればよかった。悔やまれる。


[ 2013年02月21日 09:35 ] カテゴリ:寺院 | TB(0) | CM(0)

【25/2/9】諏訪大社上社本宮

小坂観音院のお参りを済ませてメインディッシュ(?
諏訪大社上社本宮へお参り。
3年前に自転車で向かった時には見事に御柱祭中で混み具合。
「今日はお宮には入れないよ」と近所の方にご忠言を賜ったので
3年前は遥拝。
幼少期に家族で一度、平成13年頃に一度(この頃はご朱印を集めていなかった
平成15年に一度、平成22年に一度(遥拝)と、
今度で5回目のお参り。
諏訪大社はお気に入りの神社のひとつである。

H25020901諏訪大社上社本宮

平成15年に頂いたものとは書き手が変わったみたい。

■諏訪大社上社本宮
創建:不明
祭神:建御名方神(本地 普賢菩薩)

創建は不明だが、日本最古の神社のひとつに数えられるくらいに古い。
詳しくはwikiを参照するとよろしいかもしれません。
祭神は建御名方神、詳しくはwikiで。

諏訪大社は南に上社、北に下社を配する神社なので
「北=上」という現代の地図に慣れてしまうと間違えやすい。
諏訪湖から富士山を拝む形で上にあるので上社、
下のあるので下社です。
上社本宮の御神体は守屋山とされてますが、
洩矢神はミシャグヂ神であり、現人神である大祝でもある。
自分でも書いていてよく分からないくらい
雑多に信仰が入り混じっているのが諏訪大社です。
一つ一つ検証するべきなんだろうけど、すでにしてる人も多いことですし。。

形の良い山を「神奈備」と呼び、神の寄り代として古代は信仰していました。
守屋山を信仰とするのはこの信仰の名残かと思います。
有名なところでは三輪山の大神神社、
また「出雲国風土記」にも記述が見られることから
大和朝廷成立以前に諏訪に入植した出雲民の信仰に拠る部分が
多いのではないかと個人的には思います。
北九州の民族が大和に侵攻する以前の西日本は
大国主命の支配する旧出雲国の勢力圏内だったのではないかという説に
今のところ自分は納得言ってるけど、文献資料は乏しいね。
今後の考古学的発見に期待。

さて、ミシャクヂ神とはなんぞやという話ですが
姿は蛇であるともいうし、柳田は賽の神であるという。
漢字で書くと「御石神(ミシャクヂ」となる。
さて、諏訪には祖霊神としてミシャグヂ神のほかにソソウ神というものもある。
ソソウ神こそ蛇の神であり、時代が進むにつれて同一視されて
ミシャグヂ神も蛇神になったともいわれる。
自分としてはミシャグヂは男根でソソウ神は女陰で
上社前宮で行われる御室神事は男女和合の祭りではないかと思う。
この辺は西郷信綱も言ってるけど。
ミシャグヂが男根であれば、象徴的な蛇であることも納得がいくので
ソソウ神こそが今に残る下社の女神、八坂刀売神と同一視できる。
ただまぁこれも後付で、下社はまったく別の神社だったと考えるけど
それは下社で考察しようかな。
まぁ男女和合を祭りとする神事も少なくないし、
飛鳥坐神社とか、五穀豊穣子孫繁栄、
縄文時代の石棒にまで通じる古い信仰の名残とも思える。

洩矢神というのは建御名方神が入ってくる以前の諏訪の神で
『諏訪大明神絵詞』に出てくる神。
伝承によれば、

「洩矢神は古来諏訪地方を統べる神であった。
しかし建御名方神が諏訪に侵入し争いとなると、洩矢神は鉄輪を武具として迎え撃つが、
建御名方神の持つ藤の枝により鉄輪が朽ちてしまい敗北した。
以後、洩矢神は諏訪地方の祭神の地位を建御名方神に譲り、
その支配下に入ることとなったという。」

wikiより抜粋w
この鉄輪の武具と藤の枝とはなんのことなのか。
諏訪地方の政権交代劇を著す物語として実に興味深い。
鉄輪と藤の枝は製鉄技術の世代交代を表現したものだという説も
一理あるかなと思う。
今でもこの鉄輪を思わせる神器が諏訪大社には「鉄鐸(サナギ」として残り、
神事の際にはこれを振るという。
銅鐸を思わせる神器で、この鉄鐸を振るわせることで
大地を震わせて恵みを祈ったのか。
真弓常忠は著書では褐鉄鉱による産鉄と、この鉄鐸を振るうことに関連付けて
古諏訪の民の製鉄技術であると指摘する。
一方の藤の枝は鉄穴流しによる産鉄方法であるといい、
藤の蔓で作った笊で砂鉄を取った、というは少々強引かなw
1356年に『諏訪大明神絵詞』は諏訪円忠によって編じられた本で、
600年近く前の出来事を記されたものが真実とも限りませんが。。
とまぁ、漏矢神に関する記述は『諏訪大明神絵詞』くらいしかないが、
洩矢神の末裔とされる守屋氏は諏訪大社の神長官であり
建御名方神の末裔で現人神である大祝諏訪氏に使える主従関係を表現しているんだろうなぁ。
守屋氏は物部守屋の子孫であるとも言われ、
ややこしくて堪らない。
まぁ研究家でもこれといった回答が示されていないので
よくわからない神様です。

ただここで分かることは建御名方神と洩矢神は別の性質を持つ神であり、
建御名方神自身は守屋山の神ではないということで、
ご神体は守屋山ではないということになる。
それを示すかのように本宮の拝殿は守屋山を拝まない。
守屋山が右側に来るように拝むのでいったい何を拝んでいるのだ、となる。
一説には過去にはその先に神宮寺があり
そこに祭られていた普賢菩薩像を拝んだとされる。
諏訪は明治の廃仏毀釈で神宮寺別当寺社坊の多くが失われ、
まぁ諏訪に限ったことではなく、長野の戸隠も小菅も水内は悉く破壊されてるし、
神仏習合の観点から諏訪を研究することは難しい。
すでに失われたお堂を拝んでいたとすると少し悲しいけれど、
自分としては拝殿のほぼ直線上にある富士山を拝む、
もしくは北口本宮浅間神社と今は合祀されている諏訪神社を拝んでいると考える。
北口本宮浅間神社の諏訪神社は浅間神社よりも古かったとされるし。
富士信仰と諏訪には関係があるとすると、
先の「藤の枝」の解決に向かえるかもしれない。

さて、祭神の建御名方神は古事記では大国主命の次男で
国譲りで建御雷神と戦って敗北して諏訪に逃げそこに籠もったという。
古事記と『諏訪大明神絵詞』では敗北者と支配者とまるで立場が違う。
古事記編纂に当たって諏訪の神を敗者に仕立て
天津神の正当性を誇示したものだろうとは想像できますね。
さりとて建御名方神は出雲系入植者が奉じた神ではないかとも思うが。

武御名方神はそもそも「南方神」で「ミナカタ=水潟」で湖の神。
また南方は宗像にも通じるので海の神、
まぁ諏訪には海ないので、北九州からの移民の系譜でもある。
西日本からの移民については上社より下社のほうに色濃いので
水の神としての性質は下社から来るものかもしれない。
時代とともに併合されたんだろうなぁ。

建御名方神は諏訪に籠もった神のため神無月に全ての神が出雲に行くのに対し、
諏訪は出向かないため、出雲と同様に「神在月」であったとし、
他の神とは一線を画すところも興味深い。
諏訪の神を封印したとも思えるけど、
721年に諏訪国は律令国家の中の信濃国から独立をし、
731年には結局元に戻るが、独自の影響力があったということかな。

また、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際に奉じたことから
武神としての信仰も色濃い。
古事記編纂時期にはすでに武神としての存在感を出していたため、
鹿島の建御雷神との対決が描かれ、
中臣氏の祖である建御雷神が勝利することで中央と諏訪との主従を明確化したのだろう。
まるで建御名方神と洩矢神のようだなぁ。

と、諏訪の信仰はたまねぎの皮を剥くが如く、
剥けども剥けども先が見えないほど奥が深いものです。
一面一面をみても全体像が見えませんが
全体像を見ようにも奥行きがありすぎる。

またこんなことを3時間も書いてしまった。。orz
DSC_3351.jpg

お参りした当日は天気がよかったですが
雪も多く残り、地面が凍るわ、氷柱はあるわで
雪国を実感。
[ 2013年02月18日 23:38 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)

【25/2/9】小坂観音院

先日、諏訪湖に御神渡りができたというニュースを読んでから
どうも諏訪に行きたい衝動に駆られていたので
7時丁度の~特急スーパーあずさ1号で~♪
ちょっと旅立ちました。

9時過ぎに茅野駅に到着。
くっそ寒い時期なので人も少ないと思いきや
冬山登山者で電車も駅もびっちり。
すごいなー、冬山はまだ自分には早いな。

諏訪大社とは言っても四社で1つ、以前は諏訪湖周辺に
多くの社殿や寺院、宿坊を有した大きな霊場のひとつでした。
まずは東京に近い諏訪大社上社方面へお参り。
四社のうち、上社に前宮、本宮、
下社に春宮、秋宮と呼びます。

茅野駅からバスも出ているけれど、周回は1時間に1つ程度だし、
時間がもったいないのでタクシーで移動。
まぁお金はないけど。。
というわけで最初のお参りは諏訪大社ではなく小坂観音院へ。
諏訪の栄えた地域からは反対側に当たるので
こっち方面は一度も来た事がないのです。

H25020901小坂観音院

■龍光山観音院
創建:不明(9世紀中頃か?
宗派:真言宗智山派
本尊:十一面観音

創建についての詳細は今となっては不明とのことだけど、
境内の柏槇は樹齢1200年とも言われ、
空海が植えた、とも言われるため伝説的にはその頃創建か。
空海と役小角は日本中に伝説があるため、信憑性は薄いけど
真言宗の修行僧や修験者が日本の未開の地や山を切り開き
そこで修行をし、信仰を説いていたのだろうなぁ。
勿論そこには先住民も居ただろうけど、
都の治水や土木などの最先端技術を彼らに与えることで
彼らからの篤い信頼を得たことだろうし、
大和朝廷への服従をも担ったことだろう。
布教と言うのはいつの時代もそういうものです。

天台宗は国家鎮護のため、公金が多く導入されたため、
そういった地方の荘園を得るよりも
都や都市部、街道での既得利権を入手して居たようで、
例えば街道の関所の通行料、酒や味噌の酵母の販売権やら、
京の町の土地所有権まで持ってました。
天台宗が真言宗ほど地方での伝説が少ないのは
そういった理由だと自分は思ってます。
天台宗は学問所としては東京大学なようなものですし。

一方の真言宗は都から離れた高野山に社殿を有したのも
高野山一帯に鉱山を多く有し、
周辺地帯から採取される金属や鉱物、硫黄、水銀などを
販売することで潤っていた部分がある。
また、諸国の鉱山を開発するために
遊行しては地方地方で技術を与えたので
空海の井戸、空海の腰掛、空海の泉etcが多く、
またその地を荘園とすることで多くの利益も得て
天台宗と対を成す一大宗教教団になったと
自分は思ってます。
学問所としては名門私大、慶応とでもイメージすれば良いかな。

役小角の修験道は密教が輸入される以前に
山を切り開き、霊場としてきたので、
国家からも公認されていないし、
切り開いた地は後に天台宗や真言宗に奪われているため
少し気の毒であるなぁ。
後に、天狗だのなんだの呼ばれるし。
修験者や山伏もまた鉱山開発に携わり、
蔵王権現の座す吉野山の桜は修験者たちが鉱山の目印に植えたもの、
ともいわれるそうな。
修験も密教的要素が含まれると、さらなる独自の進化を遂げ、
今に伝わる修験道へと変化していったと思われます。
金峯山寺は学問所というよりは
修験者達の中継地点のような感じだなぁ、勝手なイメージだけど。

密教も修験も江戸時代に入ると統制されて
既得利権を奪われ、武力も排除されてしまい
ただただ信仰の場であり、戸籍管理をするだけの団体になって
明治を迎えてほぼ解体されますが
古い足跡を辿るのも面白いです。

自分の中では古くからの温泉地は
修験や真言宗の古い寺院があると思っているので、
ご朱印も歴史も温泉も愉しめてよいです。
古くから信仰がある場所は酒も美味しいし。
温泉が出るということは地脈の活動が活発なため
鉱脈も多いだろうし、硫黄も採れる。
そこを開発し、そこに寺社を建設する。
抗夫や労働者がその湯で身体を癒し、
往来が増えれば宿も増え、
金属加工のための鍛冶屋が生まれ、
男が増えれば遊郭もできる、
信仰の場での金属と遊郭の関係も興味深い。

と、諏訪の地の歴史も古く、
守屋山を聖地とし、洩矢神を信仰する狩猟民族の地に
農耕をし武御名方神を奉じる出雲系民族が入植し、
その後に大和朝廷の支配地になり、
そこに1200年前くらいに真言僧が布教に来たため、
諏訪の信仰は幾層にも渡って複雑です。
狩猟文化と朝廷・仏教文化は相反するもので、
その最たるが「血の穢れ」です。
農耕が盛んになると安定した食料供給が可能になり、
集落ができ、富の格差も生まれ、国家へと変わる。
その過程で日本は仏教が導入され、
仏教は肉食を禁じたため、朝廷では血は穢れとして
遠ざけられるようになります。
無論庶民の間では食されましたがw
西国は温暖のために稲作が根付き、血の穢れも浸透しますが
今と違って稲の品種改良のレベルも低く、
東国では稲作が遅れたために狩猟生活も色濃く残りました。
東日本でうどんや蕎麦が多いのは
収穫された稲は年貢として納めた為に
変わる穀物として麦や蕎麦を作ったからかな。
国家が形成されていく過程で狩猟神を祭る信仰も消えていったのですが
諏訪の地では今でも狩猟文化を思わせる祭りが残り、
独自の信仰へと発展しました。
諏訪は朝廷から見たら「陸の孤島」のような場所だったのかな。。

と、長々と推測やらなにやら書きましたが
もっと勉強しなくちゃな。
自分の卒論は諏訪信仰についてであり、
自分の氏神も武御名方なので関心が強い。

そんなわけで小坂観音院は真言宗の寺院です。
かつては諏訪大社の社坊だったので諏訪大社も真言宗。
中世には諏訪氏の祈願所にもなり栄えます。
本尊の十一面観音はその昔、諏訪湖から漁師が引き上げたものと言い、
この辺は善光寺や浅草寺っぽい。
本尊縁起のパターンとしては有名な類です。
これもなぜ漁師が海から引き上げる、という物語が生まれたのか
調べてる人いないかな~参考に読んでみたい。

ここ小坂観音院の東門は真東を向いていて
春分の日と秋分の日には諏訪湖を通って日の光が門にまっすぐに入り、
「黄金の道」とも呼ぶそうな。
方位の結界でも張ってるのかな。
現代人の自分からしたら「結界なんてw」ですが
過去にはそれを学問として信仰として本気で研究していたので
過去を知るための貴重な資料ですね。

寺院は山の少し上がった所にあるため
諏訪湖を一望できます。
御神渡りは残念ながら見れませんでした。
でも半分くらいは凍っていましたね。
写真は載せません、本には載せるかもw

諏訪御料人の娘、通称「由布姫」の所縁の寺であり、
由布姫は武田信玄の側室で勝頼の母親。
武田と諏訪についてはまた次の機会に。

小坂観音院の近くには御頭御社宮司総社があり
ミシャグヂ神を祭る祠もあります。
ご朱印の旅だったので寄れませんでした。
ミシャグヂについても次の機会にw

DSC_3284.jpg

日記なのに2時間以上もかけて書いてしまった!
いや、日記ではないけど…
お金くれたらもっとまじめに書くんだけどな。。
同人誌のほうはこういうことを書くと文字が多くて
自分が厭なのであまり書かないようにしようと思ってます。

諏訪好きなので熱く騙ってしまった。。
[ 2013年02月17日 19:09 ] カテゴリ:寺院 | TB(0) | CM(0)

進行状況

20130212-2.jpg

5月のコミティアに向けてそろそろ原稿を進める。
今月中に下書きを終わらせてペン入れに入らないと
入稿に間に合わない気がする。。

次の新刊は甲州街道サイクリング編(仮)という感じで
3年前に走ったルート上のご朱印メインで。
東京~甲府~諏訪~善光寺までの本です、多分。
嗚呼、自転車描きたくないよう。。

というわけでブログ更新頻度が若干落ちるかと思いますが、
一応毎日更新のつもりが早々にさぼっているし、
こつこつやっていきます。

先週は取材と称して冬の諏訪に行ってきました。
雪ががっつり残っていたので、寒かったです。
小学生の感想文か。
[ 2013年02月16日 18:13 ] カテゴリ:原稿 | TB(0) | CM(0)

【25/1/27】七社神社

この日は行く寺社行く寺社全然縁がなかった。
梅田神明宮から、綾瀬稲荷神社→観音寺→江北氷川神社と振られたので
とぼとぼ岐路に向かう途中に王子の七社神社へお参り。
こちらは以前お参りしたら神主不在で頂けなかった所。
丁度この日は餅つきをやっていたみたいで不在ではなく。

■七社神社
創建:不明
祭神:伊邪那岐命、伊邪那美命、天児屋根命、伊斯許理度売命
   市寸島比売命、仲哀天皇、応神天皇

七柱を祀っているので七社神社。
古くは高野山四社明神と天照大神・春日・八幡の
7柱を祀っていることから七所明神社と呼ばれ、
北区西ケ原の佛寶山西光院無量寺の境内に祀られてました。
別当寺にはまだお参りしていないので今度行ってみよう。

H25012702七社神社

高野山四社明神は丹生都比売大神・高野御子大神・大食都比売大神・市杵島比売大神のこと。
勿論、別当の無量寺は真言宗の寺院なので
真言宗系の神社ですね。

社務所でご朱印頂きたい旨伝えたところ、
中でお茶まで頂いてしまいました。
中に書かれているご朱印のついて軽く話しをしたり、
なかなか有意義な時間でした。
初穂料も頂いていないということなので
境内の賽銭箱に納めておきました。
機械的な対応をする寺社も少なくない中
(まぁこっちもスタンプラリー感覚ですが
丁寧な対応をして頂くと嬉しいですねぇ。

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[ 2013年02月14日 20:51 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)

【25/1/27】梅田神明宮

綾瀬駅前にある綾瀬稲荷神社のご朱印を頂こうと
自転車でポタリング中の梅島辺りで
「神明通り商店街(だったかな」という看板を見かけ
どこの神社だろうとうろうろしてたら見つけた神社。
グーグルMAPでは「井上神社」の表記になってました。

■梅田神明宮
創建:不明(1762年頃か
祭神:天照皇大神
   井上正鐡霊神

H25012701梅田神明宮


井上正鐡が伝道した禊教発祥の霊場でもあり
境内の裏には井上の棲んだ住居もあります。
井上は幕末の国学者であり神道家で
1840年にこの梅田神明宮で神職に就き、
独自の神道を唱えたそうです。
1842年に江戸幕府の滅亡を予言する言動を取ると
三宅島に流刑となり、そこで滅しますが門人も多く
1872年に吐菩加美講(吐菩加美神道)として布教が公認され、
1894年に禊教として教派神道の一派に公認されます。
まぁこの辺はwikiみれば書いてある程度の知識なので
自分は宗教に明るくないので信仰云々はわかりかねます。

禊教は今はこちらよりも身曾岐神社の方が断然有名ですな。
ゆずのどっちかと高島さんが結婚式あげた神社だけど
どっちかの方のお母さんが熱心な信者だとかなんとか。
どうも胡散臭い新興宗教と似た扱いされがちですが
明治期には公に認められた神道教団だったわけです。
ただ、身曾岐神社はかむながらのみちの活動拠点なのかな。。
あまり首を突っ込むのはよそう。。

井上は白川伯王家に神祇を学んだことから、
伯家神道(白川神道)の流れを汲むものなのか、
まぁ伯家神道自体はすでに途絶えてしまっているけども。。

「吐菩加美」は「吐菩加美 依身多女(トホカミエミタメ)」から。
三種の祓は伯家神道の根幹を成す作法なので
今でも一部残っている、ともいえるのかな。
三種の祓の「寒言神尊利根陀見」は「坎艮震巽離坤兌乾」は八卦、
古くからある神道の中にも見える五行思想。
なかなか興味深いですな。

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[ 2013年02月12日 21:02 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)

【25/1/26】武蔵晴明社

まぁこれは神社のご朱印という分類でいいのかと問われれば
ダメだとは思いますがw
角川書店の「京極堂×コミック怪フェア2013」で所定の本屋で
指定の本を買えば頂けます(ました
自分は発売日と同時にコミックス版の「狂骨の夢」の5巻を買っていたので
購入後に情報を知り、
調べて早速池袋のJUNK堂で無事ゲット。
「ご朱印風」カバーのほかに「探偵手帳風」「古本屋風」とあったので
結局3冊購入したので家に同じ本が4冊。。。
まぁよくあることですよこんなことは。

■武蔵晴明社
創建:不明
祭神:安倍晴明

H25012601武蔵晴明社


京極夏彦の作中に出てくる神社です。
処女作の「姑獲鳥の夏」の頃は神社の描写もありますが
作を追うに連れ、忘れられがちに。
場所は東京都中野区道玄町(現:中野区本町)あたりで
眩暈坂を上ったあたりという設定ですが
実際にはないみたいです、当然ながら。

まぁ作品の紹介は面倒なので置いといて、
作者本人のサインは「御祓済」の判子を押してもらえるので
作者自身が妖怪なのかなw
[ 2013年02月11日 16:33 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)

【25/1/20】藤田芸香亭

そろそろ今使っている寺院用のご朱印帳が終了しそうなので
池袋の「紙のたかむら」で調達しようと物色していたら
表紙の柄からして藤田芸香亭のご朱印帳っぽい。
藤田芸香亭は奈良にある和紙屋さんなのですが
一般のご朱印帳よりも厚めの因州紙(らしい)のため
墨の吸い具合が良く、稀に書き手さんに喜ばれるので
愛用していた一品。
奈良に行ったときに買えばよかったのですが
うっかり忘れて、通販するのもめんどうだなーと思っていたので
渡りに船とばかりに2冊購入。

表紙が綺麗なご朱印帳も好きだけど、
紙が良いご朱印帳も好き。
浅草寺や東大寺みたいにうっすら紙が黄色いものも
朱色が映えて綺麗。
オリジナルご朱印帳はキリがないので集めていませんが、
買っておけばよかったなぁと後悔することもしばしば。。。

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[ 2013年02月10日 21:05 ] カテゴリ:ご朱印帳 | TB(0) | CM(0)

【25/1/20】上野輪王寺

1月14日に結構な雪が振ったおかげで
この週はまだ道路に雪が残り、大通りや日向は雪が解けても
日陰にはまだ雪が残り。
路肩には除雪が残っていて自転車に乗るのは怖いなーと思ったものの
NHKのココロ旅も見終わって午後から暇を持て余したので
散歩でもしようと西日暮里まで。
いくつか目星を付けておいたものの、
思うようにご朱印が頂けず、上野公園までぶらり。

上野公園については先にも紹介したとおり、
東叡山寛永寺の末寺が多く、風情があります。

■東叡山輪王寺
創建:1644年
宗派:天台宗
本尊:阿弥陀如来

H25012001上野輪王寺

国立科学博物館の裏手にひっそりと佇む寺院。
まぁ知ってはいたんですがry
境内は外国人の観光客かな?が一人だけ。
とても落ち着いていてよい寺院です。
天海(慈眼大師)と良源(慈恵大師)を祀ることから
別名「両大師」と呼ばれています。
ご朱印は本堂の中で頂けます。

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[ 2013年02月08日 21:40 ] カテゴリ:寺院 | TB(0) | CM(0)

【25/1/13】小石川大神宮

白山神社を通って後楽園を抜けると、左手側の春日通に
小石川大神宮があるのですが、結構の坂なのでいつも見て見ぬ振りを。。
まぁ折角なのでお参りしましたw

■小石川大神宮
創建:1966年
祭神:天照大神

明治以後にできた神社かなって勝手に思っていましたが
戦後とは思わなかった。
H25011304小石川大神宮

神宮崇敬者総代の佐佐木勝造氏によって提唱されて
伊勢神宮から特別神璽を奉戴し創建された神社です。
なので外観はビルの中にありますw
一見見当たらないので焦りますが、ビルに囲われたように社殿が。
ビルは佐佐木ビル、ちゃんと表札も掛かっていて
なんか変な感じです(失礼
明治以後に出来た伊勢神宮の分社は「~大神宮」と付くところが多い。
飯田橋の「東京大神宮」とか。
東京大神宮はパワースポットで有名になりすぎて、
通ることはあっても行くことは滅多にないですがw

ご朱印を頂こうにも社務所に誰もおらず、
中で作業されていたかたが宮司さん?禰宜さんで書いて頂きました。
正月なのでお神酒も勧められましたが、
自転車だったので…自転車だったので。

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[ 2013年02月07日 21:46 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)

【25/1/13】赤城神社

神楽坂の善國寺へ向かう途中にお参り。
前から通っていたけどry

…と見て吃驚。
前に見た鬱蒼とした森も社殿もなくなって
コンクリで固められた境内に鎮守の森の変わりに
高層マンションが。
「赤城神社再生プロジェクト」なるものらしい。
三井不動産に70年間土地を貸して分譲マンションを建築、
契約期限が終了したら元の森に戻すとか。

ほんとに返してくれるんですかねぇ。

http://www.tamanegiya.com/akagijinnjyamuzann.html

こちらのサイトに赤城神社の森が切り開かれ、
鳥居が打ち壊されていく様が語られています。
江戸の昔から守って来た宮司や氏子の気持ちを踏み躙るかのごとき蛮行。
現在の宮司はどういう気持ちで土地を貸したのだろう。
まぁいつまでもカビの生えた古臭い神社じゃ新しい氏子も取り込まぬ、
いっそ近代建築として生まれ変わらせて
若者を呼び込んで活気を、という考えは分からんでもないが
神社や寺院ならではのものってのもあるんじゃないかねぇ。
とはいえ、昔は名の知れた門前町の商店街も
過疎化高齢化で見るも無残な地方の惨状を見ると
これからこういった古き信仰が生き残れるのか心配です。

ただ、月に一度行われている赤城マルシェはそれなりに賑わいを見せているので
自分のようなカビの生えた思考の人間からしたら
愚かしく見えても、それなりに愛されているのでしょう。
ただもう二度と行かない。
不動産屋に歴史と魂を売ったような神社には興味なし。
いっそ打ち滅びて朽ちていったほうが無常感があり、カタルシスである。

と、ひとしきり憤ったところで紹介を。

■赤城神社
創建:1300年
祭神:磐筒雄命

群馬の赤城山の赤城神社から分霊を勧請して出来た神社。
早稲田弦巻町に創建、1461年に今の牛込へ遷座しました。
磐筒雄命は火之迦具土神の首を切ったときに岩に血が飛び散り、
その岩から生まれた神様。
火之迦具土神を斬った剣は十握剣と呼ばれ、
別名「天之尾羽張剣」とも呼ばれ、
後々スサノオがヤマタノオロチを退治するときに使われ、
尾の中にあった草薙剣に当たって刃が欠けてしまいます。
さてこの神話をどう捉えるか、自分は古き製鉄(製銅?)文化から
より先進的な製鉄文化への世代交代を現しているのかなとも考えますが
まぁ綿密な資料に裏付けされたわけでもない、妄想ですw

当時の別当は赤輝山円明院当覚寺。
今はどこにあるのやら、ぐぐっただけじゃ見当たらないw

H25011303神楽坂赤城神社

ご朱印はマンションの1階部分にある社務所で。
若い巫女さんが書いてくださいました。

DSC_2944.jpg

改築後の本殿はこんな感じ。
本殿なんてどんな神社仏閣だって老朽化すれば建て替えるだろ、
って話ですが、やはり宮大工の技術保存や若手の育成のためにも
今までの建築方法で作っていただきたいものです。

DSC_2934.jpg

こちらが狛犬。
かわいらしいですね(棒
江戸時代に流行った「加賀白山犬」のフォルムなんですと。
結構寺社回ってきたけど初めて見ました。
自分の浅学さに反省。

と、否定的な文章になってしまいましたが
この先70年、愛される神社になるといいですよね~(フォロー
[ 2013年02月06日 23:15 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)

【25/1/13】高田氷川神社

都電の面影橋から歩いてすぐ、神田川沿いにあります。
目白不動尊の近くなのでよく通るのですが、
お参りしたことがなかったのでお参りに。

■高田氷川神社
創建:創建不明(江戸時代以前)
祭神:素盞嗚命

境内に入ると、許可なく撮影を禁ずと書いてあったので
写真は外側だけ。
寺社のルールやマナーは守ってます。
江戸時代から下高田村の総鎮守として祀られていて
祭神は氷川大明神(素盞嗚命)。
こちらは男神で、下落合の氷川神社に祀る稲田姫命(女神)と
対の夫婦宮として篤い信仰を受けていたそうな。
下落合のほうも今度お参りしてみよう。

H25011302高田氷川神社

社務所でご朱印をお願いすると、初穂料は500円とのこと。
都内で500円は明治神宮、烏森神社に次いで3つ目かな、多分。。
翌日が御奉射祭ということで、参拝者として名前を書くように勧められたけど
面倒なので、丁重にお断りw
社務所で待っているときにアイマスの神社ポスターが張ってあって
下さいと言おうか迷ったけど言えないチキンっぷり。

隣接する大鏡山薬師寺南蔵院が別当。
1376年頃に開山されているので、神社もこの頃かな。
寺院の名前から分かるように本尊は薬師如来で
薬師如来は牛頭天王の本地仏、
牛頭天王(垂迹)は素盞嗚命と同一視されるので
関係性が分かりやすくて大変よろしいw
南蔵院は札所にもなっているのでご朱印いただけそうですが
社務所に張り紙がされていない寺社は躊躇ってしまう。。

DSC_2884.jpg
[ 2013年02月05日 21:28 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)

通販とか。

そういえば同人誌は comicZIN さんで委託もお願いしています。
即売会に来られない方にもオススメですよ(ぁ

http://shop.comiczin.jp/products/detail.php?product_id=15230

C83に発行したものだけですけども。
Vol2とVol3は通販していないみたいです。
(まだ棚卸見ると在庫があるので店舗にはあるのかな…
通販で買うより即売会のほうが安いので
買って欲しいような、なんとも言えませんw

次は西へ!と思っていたんですが
長野のほうにしようかなと考え中。
諏訪とか。戸隠とか。
諏訪大社好きなんですよ。
学生時代に卒論で扱うくらい。
当時の卒論よりも今の方が良いもの書けそうだな~
最近、諏訪大社というと東方で話題みたいですが
自分は東方の知識が全然ないのですいません。

今月中には下書きを終わらせたいな。。。
[ 2013年02月04日 23:05 ] カテゴリ:宣伝 | TB(0) | CM(0)

お疲れ様でした。

というわけで今日はコミティアでした。
お寄りいただいた方々には感謝感謝です。
ご新規さんともいろいろお話ができて楽しかったです。
なかなか「濃い」ご朱印トークが日頃はできないので
イベントで話をするのは楽しいですね。
情報交換もできるしw
まだまだ行ってないところもいっぱいあるなぁ。。

次は5月のコミティアの予定です。
まぁ、まだ申し込んでいませんが。。
そろそろ新刊の準備に取り掛かろうと思います。。

vol.1の再販も考えているのですが
なんだかんだで先月はまったく手をつけていない始末(ぁ
そのまま刷るだけじゃあれなので再編しようと思いつつ
なかなか難しい。。。
まぁゆるりと今年もやっていこうとおもいますb
[ 2013年02月03日 19:32 ] カテゴリ:イベント | TB(0) | CM(0)

【25/1/13】大塚天祖神社

都電に乗って大塚に向かう途中にいつも目にしていた神社。
都電側から見るとぱっとしないのでお参りしてこなかったけど
折角なので行ってみました。

■大塚天祖神社
創建:元亨年間(1321年頃)
祭神:天照皇大御神

元亨年間に当地の領主豊島景村が創建したと伝えられます。
豊島景村は石神井城城主であり、王子権現社もこの頃創建。
王子権現(今の王子神社や王子稲荷)はその後も篤い信仰を得たのに対し、
こちらはあまりそういうイメージがないな~
江戸時代に鬼子母神の信仰がさかんになると、
一時、十羅刹女神を併せて祀ったこともあったそうですが
明治の神仏分離で天照大神を祀る今の天祖神社に。
十羅刹女神は今は大塚の東福寺に安置されているそうなので
今度お参りしよう。

H25011301大塚天祖神社

ご朱印はシンプル。
イラスト判子の向きが気になります。。

DSC_2869.jpg
[ 2013年02月02日 22:48 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)

【25/1/13】伝通院

神楽坂から湯島方面へ抜ける途中に寄った寺院。
前から知っていたけどお参りしていなかったので寄ってみました。
春日通から後楽園に抜ける途中にある寺院です。

■無量山寿経寺伝通院
創建:1415年
宗派:浄土宗
本尊:阿弥陀如来

サイクリングして帰宅する途中によく通る場所なので
いつでも寄れると思っていたのですが
気付けば山門が新築されていました。。
山門は平成24年に建て替えられたみたいです。
綺麗な木目も好きですが、やはり味わいのある年期のある建築物がすき。
まぁ古いからいいってもんでもないとは思いますけどね。

H25011304小石川伝通院

ご朱印は本尊の阿弥陀仏。
伝通院の歴史はそれなりに古く、開祖は室町時代。
その後、江戸時代に家康の生母の埋葬の際に、法名「伝通院」に因んで
現在の院名になったそうです。
境内は夕方に伺ったからか、静かで落ち着いた雰囲気。
ご朱印は納経所で頂くそうですが、土日は社務所で頂けます。
幕末マニアには、1863年2月4日、新撰組の前身となる浪士組が結成された場所として有名。
DSC_2999.jpg

[ 2013年02月01日 21:54 ] カテゴリ:寺院 | TB(0) | CM(0)


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