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【25/2/9】手長神社

原稿をやっているので更新が遅い!と見せかけて
日々飲んだくれているのです、すいません。

八剱神社を参拝して、この日最後の目的地の手長神社を目指す。
手長神社は10年以上前に一度お参りしてたりする。
坂の上にあったなぁという記憶はあるが。。

H25020905手長神社

■手長神社
創建:不明
祭神:手摩乳命

祭神は足長神社と対になる手摩乳命。
足長神社でこの辺の関係性については書いたので割愛。
創建も不明。
江戸時代には高島城の北東にあるため鬼門封じでもあり、篤い信仰があったとか。
手長神社の神紋は足が4本なのでこのあたりまでは上社の圏内なんだろうか。

別当は手長山二尊教院法光寺。
後から調べて知った、いけばよかった。
宗派は浄土宗なので阿弥陀仏が本尊。
諏訪にも浄土宗があるのがちょっと珍しいというか意外と言うか。
長野は浄土宗と浄土真宗が根強いけども。

DSC_3871.jpg

ここで足長神社と八剱神社のご朱印をまとめて頂ける。
3枚セットで1000円。
…×3で900円じゃ切が悪いもんね?
境内には祠も並び、足長神社のよう。
もちろん四隅に柱が立っている。
高台にある神社なので諏訪湖が一望できて景色は良い。

今更だけど諏訪地方の神社仏閣は好きだけど
東方うんちゃらについての知識は一切ありません。
まぁどんなことからでも日本神話や信仰に興味を持つのはいいことだとは思いますよ。。
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[ 2013年03月17日 21:50 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)

【25/2/9】八剱神社

ブログの更新が停滞気味なのは忙しいからではなく
飲み会が多いからです、すいません。

さて、足長神社を後にして、甲州街道沿いを1キロくらい歩く。
道なりには道祖神が多い。
夫婦の石像なので諏訪明神を表してるのかなとも。
道祖神とともに「秋葉山」の石碑があるのもおもしろい。
火伏せ、火事避けの神と道祖神がセット、なんでだろう。

途中「真澄」でおなじみ宮坂醸造さんがあった。
さすが長野を代表する酒造だけあって立派なお店。
試飲もできるみたいだったけど、どうせ夜に飲むからいいや、と
中を見て終わり。

宮坂醸造を過ぎれば八剱神社はすぐそこ。

H25020904八剣神社

■八剱神社
創建:不明
祭神:八千矛神・日本武尊・誉田別尊

お参りする前に隣の八劔山甲立寺にお参り。
読んで字の如く、八劔神社の別当。
面白いことに寺院なのに御柱が立っています。
実に諏訪らしい。
きっと神仏習合時代は他の神宮寺や別当でも大社同様に
御柱祭に参加して、祭祀を取り仕切っていたんだろうなぁ。
境内には「鏝塚」もありました。
はて、なんと読むのやらと思っていたら
「コテ塚」と読むんだそうで、左官屋さんが使うコテを供養した塚。
本尊は厄除十一面観音(別名:高嶋観音)。
寺内には金剛界大日如来などの文化財も多く残り、宗派は勿論真言宗。
また本尊と並び、愛染堂の愛染明王座像は立派で篤い信仰があったそうな。
御体は朱く三目六臂で五鈷杵・弓・蓮・その他の持物も完備し、
室町時代と推定される好作とのこと、実物見てみたいw
ご朱印は頂ける様な感じではなかったなぁ、お堂には誰もおられなかった。

と、これでは別当紹介のようなので神社のほうにお参り。
八剱神社は甲立寺と共に、今の高島城の場所に鎮座していたが
日根野高吉による築城により現在の地に移されました。

祭神の八千矛神は大国主命のこと、建御名方神のお父さん。
大国主命は名前が沢山あるのがなぜなのか、
未だにこれといった回答は出ていないのかな。
多く居た氏族の氏神や地母神を大和朝廷が征服後に
全て「大国主命」として集約してしまったからじゃないかと思っている。
ただ、八剱神社の名前は別当の八剱山から来ているものであり、
その八剱=八矛で明治時代に八千矛神を当てたんじゃないかと思う。
そもそも江戸時代には八剱大明神と呼ばれていたそうだし。

八剱神社というと御神渡神事をする神社として有名。
御神渡とは諏訪大社上社から下社の方向へ向かうもので
上社の建御名方神が下社の八坂刀売命に会いに行った足跡といわれます。
なんともロマンチックな話ですw
この伝説がいつごろから定着したのかは不明ですが
江戸時代にはすでに八剱神社の記録に残っているというのだから
安土桃山時代以前には定着していたのでしょう。
男が女の元に通う婚姻の形を妻問婚というのだけど、
御神渡の伝説は古代の妻問婚の名残なのだろうか。
平安時代あたりまでは日本では妻問婚が主流だったけど
武家社会の成立と共に失われていった習慣なので
伝説として残っているということは、諏訪ではこのころまでは
妻問婚だったんだろうか。
朝廷における後宮や江戸時代で言えば大奥なんかもその名残とも言えるから
さほど珍しいものでもなかったのかな。
妻問婚は母系制が色濃い農耕社会では最近まで残っていたというし
諏訪湖周辺であってもおかしくも無いんだけど
御神渡り神事を妻問婚ないし古代の婚礼の視点から研究してるひとは
おらんもんか、興味深い。
まぁ大国主神にも妻問い神話があるくらいだから
これもまたひとつのテンプレートのひとつなのかな。。
ただ類似と同一はまた別物なので少し掘り下げてみよう。

この御神渡り神事を取り仕切った八剱神社は元は今の高島城付近にあったとすると
昔は高島城付近まで湖があったということなんだろうなぁ。
高島城は別名「諏訪の浮城」と呼ばれて、湖に突き出して築城されたみたいだし。
今は江戸時代の干拓事業の影響で湖じゃないけど。
つまり八剱神社も湖に隣接した社だったんだろうなぁ。
近年、御神渡りは温暖化の影響からか、減っているそうだけど
去年も今年も無事出来たとのこと。
聞いた話では、すぐに溶けてしまうので早朝にさっと神事を済ませてしまうんだとかw

DSC_3829.jpg

境内は鳥居をくぐると拝殿のような神楽殿を超えて社殿へ。
神楽殿の横には社務所兼公会堂があるが閉まっていた。
ご朱印はここではなく、足長神社同様、手長神社で頂けます。

社殿には四隅に御柱、また摂社にも御柱。
やはり八千矛神というよりは諏訪系の八剱大明神を祀るほうがしっくりくるなぁ。

ちなみに甲立寺は本堂が南西に向いているのに対し、
八剱神社の社殿は北東を向いている。
移転や再建、区画整理でこうなったんですといわれると虚しいが
何か意味があるのだろうか。
ちょっと気になる。
[ 2013年03月08日 21:30 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)

【25/2/9】足長神社

仏法紹隆寺から程近く、桑原城跡の麓に鎮座するのが足長神社。
この神社は鳥居がない珍しい神社。
自分はナビで把握しながらなので迷わなかったけど
結構見逃す人も多いらしい。
鳥居があるから神社なんだと思っていたけど
鳥居がないのに神社となると、神社の定義に悩みますねw
入り口に聳え立つ杉の木に注連縄を渡して鳥居に見立てているようなので
むしろそういう様式が古い神社の入り口なんじゃないかとも思う。

H25020903足長神社

■足長神社
創建:不明(810年頃?)
祭神:脚摩乳命

古くは「荻の宮」と呼ばれ、荻で屋根を葺いていたとのこと。
祭神は脚摩乳命、別名足長彦神。
足長というと対になる手長とセットで
妖怪を思い浮かべてしまう。
もちろん手長神社もあるので次回でw
ちなみに「足長手長」というと九州の妖怪、
「手長足長」というと東日本の妖怪になる。
紛らわしいけど順番は大事。
今回の諏訪の場合は「手長足長」に該当します。
東日本にも各地に「手長足長」伝説が残っているが
諏訪にも勿論あり、手長足長は諏訪明神の家来とされ、
手長と足長の夫婦人組の神といわれています。
建御名方神はその地に居た手長足長を使役して治水や土木工事を行ったという。
この手の古代の神話は当時の侵略行為を表すものが多いので
洩矢神と似たようなものなのかな。

脚摩乳命はヤマタノオロチ退治の説話に登場する神で
大山祇神の子で奇稲田姫の父親。
アシナヅチは足の無い霊(チ)、テナヅチは手の無い霊(チ)で
すなわち蛇を表す神、ともいわれる。
方や足の無い神なのに、足が長いという名前が冠せられているのも
おかしなもんだけど。
そこのところはおそらく、先に足長の名前のついた神が居たところに
後になって記紀神話と一致させられたからなのかな、と思う。
守屋山を越えた先に伊那市があるが
伊那市にも足名椎命を祀る神社があり
ここの祭神は「片目を欠いた神」として神像の右目が壊されているといい
片目神は鍛冶製鉄の神の象徴なので
諏訪の足長神社の神も同様のものではないかと思うが
いかんせん、この記事を読んだのは10年近く前なのでうろ覚え。
まぁ蛇神であったとしても、諏訪の神が蛇神なので違和感も無い。

物部の末裔との伝承を持つ埼玉の氷川神社の門客人神社は
元々荒脛巾(アラハバキ)神社と呼ばれ、
ここにはアシナヅチ、テナヅチの2神がアラハバキと共に奉られているという。
守屋山と物部氏に関連性があるという伝説があるが
洩矢神がアラハバキであり、その家来としてアシナヅチ、テナヅチがいた諏訪の地に
建御名方神が侵攻した、と考えてみる。
ちなみにアラハバキの神もまた足の神であるのでなんとなく一致してしまう。
アラハバキもまた敗北した「まつろわぬ神」なので
足長彦神が建御名方神に負けて使役されてしまったことのも通じるかな。
まぁ妄想だけど。

ちなみに手長足長にテナヅチ・アシナヅチを当てはめたのは後の時代の
見当違いである、という考察をされてる方が居たのでメモ的に張っておく。
http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/sanpo/asinagatenaga.htm

DSC_3759.jpg

足長神社はひっそりと佇み、自分以外参拝者はなし。
拝殿の右側にはずらりと石祠が並べられていて
右端にある祠だけ四隅に小さな柱が建ててある。
そこの祭神は建御名方神なのか?
石祠には銘もなにもなかったのでわからない。

ちなみに足長神社には社務所が無いためご朱印は頂けませんが
事前に「手長神社でまとめて頂ける」という情報を得ていたので
無視せずじっくりお参りしておきましたw
[ 2013年03月03日 11:59 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)


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