ご朱印びよりっ

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【25/3/16】金王八幡宮

渋谷といえば金王八幡宮。
実はお参りするのは初めて。
まだまだ23区にもお参りしていない寺社は多いです。

H25031602金王八幡宮

■金王八幡宮
創建:1092年
祭神:応神天皇

渋谷に渋谷城を築き、渋谷氏の祖となった河崎基家(渋谷重家)によって創建されたとされます。
渋谷氏は桓武平氏良文流の一流、秩父氏の一族からの分派で
相模国高座郡渋谷荘に寄り、本貫地の渋谷を名字としたことから始まります。
渋谷氏の祖となった河崎基家が前九年の役での武功により与えられた武蔵国豊島郡谷盛庄に渋谷城を築き、
戦の勝利は基家の信奉する八幡宮を勧請し、創建したのが神社の始まりです。

隣接する渋谷山東福寺は同時期に開祖された別当寺。
天台宗で阿弥陀如来が本尊です。
八幡神の本地仏は阿弥陀如来ですしね。
ご朱印を頂けるか伺ったところ、やっていないとのこと。残念。
神社と神宮寺はセットで欲しいなー…
境内は静かでいい雰囲気でした。
ごつい一眼レフを持った若いお兄さんに
「本堂の奥に猫が居ますよ」と教えて頂いたけど、
いませんでした;;

金王八幡宮の「金王」は基家の孫で渋谷金王丸常光に由来します。
父、重家には子がなかったため、当八幡宮で祈願を続けたところ、
金剛夜叉明王が妻の胎内に宿る夢をみて立派な男子を授かり、
その子に明王の上下二文字を戴き「金王丸」と名付けました。
金王丸17歳の時、源義朝に従って保元の乱で大功を立て、その名を轟かせましたが、
続く平治の乱では義朝は敗れ、金王丸は出家し、土佐坊昌俊と称して義朝の御霊を弔いました。

…まぁほとんどwikiからのコピペですがw

その後も渋谷氏は渋谷城を拠点としましたが、
室町時代、北条氏綱による関東攻略の際に北条氏の別働隊によって焼失し渋谷氏は滅亡しました。
とはいえ、滅んだのは渋谷宗家で
鎌倉時代に薩摩に移住した薩摩渋谷氏はその後も残り、
分家の薩摩東郷氏から東郷平八郎が出ます。
東郷の死後、渋谷に東郷神社が創建されたのにも縁を感じますね。
東郷自身、生前に神格化を嫌がったそうですが。。

DSC_4548.jpg

都心の神社は鎮守の杜の変わりに高層ビル。
昔は好きじゃなかったけど、最近はそれはそれで愉しめるようになりました。
参拝時はまだ早春というには早かったので
桜もまだ蕾が出てきた程度でしたが、満開になれば花見が楽しめそう。
…参拝客が多い時期にはあまりお参りしませんがw

ところで八幡神は皇祖神であり武神であるため多くの信仰を集めましたが
八幡神=応神天皇であるとして
なんで「皇祖神」として扱われたのだろうか。
伊勢神宮の天照大神でもよかったはずだし、
皇祖というなら神武天皇であってもいいと思う。
なぜあえて15代の応神天皇なのか。
しっくりくる考え方としては、後の26代継体天皇が「応神天皇の5代」であることを根拠に
福井から大和にやってきて天皇になったことに
王朝交代が行われたことを暗に示し、その後の朝廷が
祖としたのが応神天皇なんじゃないか、というものだけど
そもそも八幡神=応神天皇になったのはいつなんだろうか。
八幡神=ヤハタ=秦氏の氏神だったとも思うし、
八幡=ヤマン=ヤマタイで八幡神と邪馬台国の末裔が関係してるのだろうか、とか
そうなると宇佐=邪馬台国かな、と思うので
邪馬台国北九州説が面白くなってくる。

…妄想の風呂敷を広げすぎると収拾がつかないのでこの辺で。
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[ 2013年05月25日 15:33 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)

【25/3/16】宮益御嶽神社

3月になってだいぶ暖かくなったこともあり、
原稿描くのにも飽きていたので久しぶりにポタリング。
寒いと自転車に乗るのも億劫になります。
この日は青山のgofaで恒例の冬目景の個展の初日で
12時開始だからちょっと早めに行ったつもりが10時前に着いてしまい
まさかの一番乗り。
個展を見終えて渋谷周辺のお参り。
まずは宮益坂の御嶽神社へ。
ここは何度か足を運んだけど社務所不在でご朱印を頂けた事がなく
改めて再訪。

H25031601渋谷御嶽神社

■宮益御嶽神社
創建:室町時代初期(1400年頃)
祭神:日本武尊

渋谷駅前の雑居ビルに囲まれた中にぽつんと鳥居が出てきて、
通りには多くの雑踏が溢れているのに、境内はひっそり。
都心の寺社の良いところは、人口密度が一気に少なくなって
ちょっとした異界感が得られるところにあると思う。

めでたくご朱印を頂く事ができたけど書置きで
日付も入れられない、とのこと。残念。
御嶽神社は宮益町の氏神で、旧地名も「美竹(ミタケ)町」と言ったそうな。

御嶽は「オンタケ」と「ミタケ」と読む場合で系統が異なり
オンタケの場合は木曽御嶽山から来る山岳信仰、
ミタケは吉野の蔵王権現の信仰が由来のもので
大雑把に分けられます。
どちらも蔵王信仰には変わりませんが。。
「ミタケ(オンタケ)山」と呼ばれる山は日本に多くあるので
主祭神が蔵王権現だったり大己貴命だったり日本武尊だったりと
同じ「御嶽神社」でも部分的に異なるみたいでややこしい。
宮益御嶽神社は金峰神社の分祭社のようです。

ちなみに蔵王権現は日本独自の神で、「権現」は「権(仮)に現れた」という意味。
役小角が、吉野の金峯山で修業中に示現したという伝承があり、
釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三尊の合体したものとされ、
今でも吉野山の蔵王堂には互いにほとんど同じ姿をした3体の蔵王権現像が並んで本尊として祀られています。
仏様は遥か彼方の極楽浄土におられて姿が見えないが、
その仏様が日本では八百万の神となって仮の姿を現すのだ、という
若干都合のいい考え方が広く信じられていたので
日本独自の○○権現が中世以降多く生まれました。
遥か彼方の本地では大日如来であるが、その神意や霊光は日本独自の神となって垂迹し、
その姿が天照大神なんだよ、というのが本地垂迹説。
「垂迹」というのは「仏が生れ変って仮にこの世に出現すること」を意味します。

修験道の盛んな山では蔵王権現を祭るお堂が多くありましたが
明治期に修験道は禁止令が発せられ、また廃仏毀釈の波も相俟って
多くのお堂や坊は打ち壊されてしまい、衰退しました。
世界遺産の熊野古道もそんな風潮の中、熱心な信者や地元の氏子によって細々と維持されていたものを
世界遺産という観光ドル箱に目を付けた今の政府が手柄を横取りした感じで
150年前にひどい法令を発布してすいませんでしたのひと言でもあったのかな…
蔵王権現を祭るお堂は日本独自の神仏習合した形から仏教要素のみが排除されて
大己貴命、少彦名命、国常立尊、日本武尊 、金山毘古命の5柱を
今は祭ることが多いです。
金山毘古命は安閑天皇とも同一視されて安閑天皇を祭る場合も多いです。
安閑天皇は継体天皇の子で広国押建金日命という諡号のためだからとか。
国家神道は随分いい加減なものですな(

金山毘古命は吉野の金峯神社の祭神で、吉野の地主神であり
鉱山の神であり、金属の神様。
修験者は山岳修行の傍らで鉱山の発見や採掘をしていた漂流者だった説を
自分も採っているのですが、その鉱脈の在り処に目印として桜を植え、
今の吉野の桜は秀吉が天下統一後に、その目印を消すために多くの植樹をした、
なんて話もなかなか興味深いです。
まぁ宮益御嶽神社は勧請されたもののようなので渋谷で金の鉱脈があった、
ということはないと思いますけどw

境内の狛犬は日本狼をモチーフにした狛犬でなかなか珍しい。
日本狼は御嶽神社の眷属ですし。
日本狼を神格化したものが大口真神で武蔵国では結構見られます。
青梅の御嶽神社や秩父の三峰神社とか。
まぁ秩父では今でも猪料理が有名だけど
武蔵国の奥地では狩猟によって生計を立てていたために
狼(犬)はパートナーでもあり、
また農耕民でも害獣である鹿や猪のような獣から田畑を守る神獣として
篤い信仰を受けていたみたいです。
ただまぁアイヌにとっての熊と同じように神獣であると同時に
人間をも襲う獣であったため、畏怖の念もあったのかな。
明治期から徐々に減って今は絶滅種になってしまいましたが。
今でも境内で大口真神の魔除けの護符を買うことができます。

青梅の御嶽神社に行くには登山の準備が必要かな…

DSC_4528.jpg

境内には狼ではないけど猫が居たので遊んでもらおうと思ったけど
逃げられてしまった。。
[ 2013年05月19日 16:00 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)

【25/2/10】酒折宮

甲斐善光寺から歩いて1キロほどで酒折宮へ。
住宅街をぶらぶら行くとちょっと小高い丘に杜が見えるので
なんとなく神社があると分かります。
住宅街の神社巡りは森が目印ですw

H25021003酒折宮

■酒折宮
創建:不明(1900年ほど前?)
祭神:日本武尊

ご朱印にもある通り、連歌発祥の地とされています。
そもそもは記紀による日本武尊の東征に基づくもので、
東征後の帰路に、甲斐国(現 山梨県)酒折の地に立ち寄って営んだ行宮が由来とされ、
在行中に日本武尊が詠んだ歌に家臣の者が答歌したことから
連歌発祥の地、とされているんだとか。
ただし、この記紀にある「酒折の地」がこの酒折宮なのかどうかは異論もあるというので
はてさて…
元々この地に、裏の御室山に関する祭神不明の祠か社があったところに
江戸後期以降盛んになった国学、古事記研究の結果、この地が酒折の地じゃないか、と
解釈したことから遡って酒折宮の歴史が生まれたんじゃないかとも
思ってしまうけど、思ってしまっただけです。
縁起や由来にけちをつけるつもりはありません。
自分が浅学なだけです。
まぁ明治以降に整備された国家神道によって
多くの神社が歴史を書き換えられたり、合祀や廃仏毀釈で
本質が見えづらくなっているからなぁ…
巷に溢れる「天祖神社」なんてのも昔は「○○神明社」「○○神明宮」だったのを
明治期に「天祖(天照の)神社」と、社名も祭神も改まっているので
歴史自体は1000年あるけど祭神は150年前に挿げ替えられている
なんてのも少なくないし…

まぁ酒折宮は地元の郷土史研究家あたりが
周辺の信仰や史跡を調べて、偏見を持たずに研究してほしいものです。

DSC_4389.jpg

境内には参拝者は他に居らずとても静か。
まぁ甲斐善光寺もすごい賑わっていたわけでもないけど…
山梨の人は参拝といったらやはり武田神社に行ってしまうのかな。
山県だの本居だの(平田か?)の書いた石碑が境内にあるけど
漢文でみっしり書かれているので1行目で読むのを止めました。。

と、こんなかんじで諏訪~山梨の参拝旅行は終了。
ティア104の新刊の取材のつもりだったので
そっちにも全部載せてあります。

comic zinさんで委託をして頂いているので是非(宣伝

http://shop.comiczin.jp/products/detail.php?product_id=16390

売り上げは僕のアルコールに変わるだけですが…
[ 2013年05月18日 16:12 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)

【25/2/10】甲斐善光寺

下諏訪を後にし甲府を目指す。
新刊を出すに当たって甲州街道沿いの寺社のご朱印と考えていたけど
諏訪から先の長野は充実してるのに山梨は武田神社しかない、
これじゃあ偏りすぎだろうと思い、甲府でも幾つか頂くことに。
本末転倒である。

甲府駅から身延線で善光寺下車。
善光寺までは善光寺通りという道があるので一直線で着きます。

H25021002甲斐善光寺

■定額山 浄智院 善光寺
創建:1558年
宗派:浄土宗
本尊:善光寺如来

読んで字の如く、善光寺。
武田信玄が信濃侵攻の際に、善光寺に戦火が及んだために
善光寺の秘仏を甲府に移したといわれる寺院。
善光寺の本尊である一光三尊阿弥陀如来は絶対秘仏なので
貫主ですら実物を見ることはできないそうで
信玄は見たのかな…
江戸時代に秘仏を検分したという記録があるので
今でも長野の善光寺の秘仏は存在するようだけど。

善光寺の阿弥陀如来は、難波の堀江に捨てられたこの仏像を
602年(推古天皇10年)頃、本田(本多)善光という者が発見し、
出身地である信濃国麻績の里(現在の長野県飯田市座光寺)に持ち帰って祀ったもの。
その後642年、阿弥陀如来が善光に命じたところにより現在の長野県長野市に移され、
ここに建てられた堂宇が今の善光寺の始まりとされる、そうです(wikiより

善光寺縁起によると由縁は古く、
印度からなんだかんだ(割愛)で百済に渡り、聖明王より日本に送られ、
有名な蘇我氏と物部氏の崇仏論争の原因になります。
崇仏派の蘇我氏が預かることになるが、反対派の物部氏によって奪われ、
大阪湾に捨てられたものを本田善光が拾い上げた、という話です。
小坂観音院でも書いたけど「仏像を池(海)から拾い上げて祭る話」は
おそらく雛形があるんだろうなぁ
ちなみに浅草寺も隅田川から引き上げた仏像を祭っています。
おそらくは大陸、というよりは朝鮮半島から日本に渡った仏像なんだと思う。
けれど中世以降、仏教国は三国、印度(天竺)、中国(震旦)、日本(本朝)で育まれたという説や
三教枝葉果実説「日本は種子、震旦枝葉、天竺は果実であり、神道は根幹で、儒教は枝葉、仏教は花実である」というもの、
から見られるように、中世以降の日本の宗教界は朝鮮半島を黙殺している事実があり、
この三国世界観に存在しない朝鮮から、日本へ送られた、とは書けなかったんじゃないかなぁと想像。
まぁだからといって広隆寺の弥勒菩薩半跏像はウリのものニダ、となっていいわけでもないw

さて、話は逸れましたが、本田善光の出身の信濃国麻績の里は今の長野県飯田市座光寺で
ここは現在は元善光寺という寺院があります。
隣接する形で麻績神社があり、祭神は建御名方命。
その後に移った信濃国水内郡芋井郷(現在の善光寺)は彦神別神社がある。
諏訪大社と善光寺になんらかの関わりがあったんじゃないかと思うけど
明確な接点が見出せないなぁ。
本田善光も信濃の国の土民ということしか縁起にも無いので正体不明です。
「扶桑略記」によると、仏像を秦巨勢大夫に命じ信濃国に送ったと記しているので
誰が信濃に持ち込んだのかは書かれていません。
命じたのは秦氏の一族となると、秦氏は百済からの渡来人。

水内郡芋井郷は今の長野市の善光寺の西側あたりだけど
以前は善光寺周辺まで芋井という地域だったらしい。
芋=鋳物の転訛した地名であることが多く、
芋井地区は今の「長野市鑪(タタラ)」というところにあるので
善光寺周辺には古代、製鉄所があったのかな。
阿弥陀如来の安置される前の善光寺は諏訪大社と縁があり、製鉄の地だったと想像できる。

甲斐善光寺じゃなくて善光寺の話になってしまったw
ちなみに善光寺の秘仏を持ち込んだのは当時善光寺の別当を務めた栗田氏で
川中島の戦いで武田方(善光寺の里栗田)・上杉方(戸隠神社の山栗田)に分裂した氏族。
同じ寺院内でも派閥があって各々分かれて争ったのか、
はたまた一方にのみ肩入れした結果、敗れた場合の取り潰しを恐れて
里派と山派に分かれて武田と上杉についたのかはわからないけど。
当時の北信地方の寺社勢力は、善光寺と戸隠神社(戸隠山勧修院顕光寺)、武水別神社(更級八幡神宮寺)、
小菅神社(小菅山元隆寺)とあっていずれも武田と上杉の戦火に見舞われてます。
当時の寺社は武士みたいなもんだけど。

甲斐善光寺に移された秘仏は武田氏衰退の後、
最終的には徳川家康により慶長3年(1598年)に元の信州善光寺に戻されました。
なので今ある本尊は一緒に善光寺から持ち出された際の前立像で秘仏になってます。
善光寺のご開帳で7年に1回(正確には6年毎に丑年と未年)に見れる仏は
前立像であって、秘仏をご開帳してるわけじゃありません。
ご開帳の翌年が御柱祭。
御柱祭の前年にご開帳をすることに意味がありそうだけど。

…結局長野の善光寺の話ばかりになってしまうw

DSC_4344.jpg

境内から富士山が拝めていい寺院です。
見た目はやはり小さな善光寺といったかんじ。
[ 2013年05月11日 10:35 ] カテゴリ:寺院 | TB(0) | CM(0)

【25/2/10】諏訪大社下社春宮

来迎寺をお参りした後、中山道を歩く。
何年か前にここをずっと自転車で上田まで越えたなぁと思い起こす…

そういえば途中で赤報隊の石碑を見つけた。
相楽総三は下諏訪で処刑されたんだった。
幕末史も自分なりに勉強したけど
やっぱり新政府軍より旧幕府贔屓。

春宮の手前に慈雲寺という臨済宗の寺院もあり
寄ろうか悩んだけど、時間が…と思って逃してしまった。
次はお参りしよう。
中山道を下ると下社春宮に出る。

H25021002諏訪大社下社春宮

■諏訪大社下社春宮
創建:不明
祭神:建御名方神 八坂刀賣神 

祭神は秋宮と同じですが、
2月1日から7月31日までの期間は祭神が春宮に宿られます。
春と秋、季節が変わるごとに神が移動するのは
春になると「里」に降りてきて、秋になると「山」へ帰る、という
日本の産土神ではよくある習慣なので
それにならっているのかな、と思う。
本来であれば、里(湖周辺)と山(守屋山か)を神が往来したのかなぁ
諏訪の信仰は新旧神仏入り乱れていて一筋縄にはいかないです。

ちなみに建御名方神と八坂刀賣神の間には二十二柱の子供たちがおり
1番目の子供が建御名方彦神別命といい、
善光寺の東側の城山公園の先の彦神別神社に祭られています。
歴史的には善光寺よりも古く、出雲から諏訪へ向かう途中の建御名方神が
休憩した地とも言われ、善光寺の守護神として祭られたそうな。
ちなみに13番目の高杜神が自分の氏神様なので
諏訪大社は祖父に当たる。
自分には諏訪大社は結構特別だったりします。
まぁこの二十二柱は長野県の様々なところに祭られており
果たして、諏訪信仰から派生したのか、そこを侵略したのか、
はたまた力を持つ諏訪大社に擦り寄って親子関係を持つようになったのかは
今となっては分かりませんね…
うちの氏神の神社も細いながらも御柱を立てたりしているみたい。

さて、境内をお参りしてご朱印を頂く。
諏訪大社のご朱印は全て500円でちょっと高いなぁなんて思ってましたが
四社お参りが終わると特製の?落雁を頂けるので
なんか得した気分になってしまうようになっています。

DSC_4234.jpg


境内の左手に砥川が流れ、中洲に浮島社があり、
その先には万治の石仏があります。
そういえば無限の住人でも出てきたっけ…
[ 2013年05月09日 20:28 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)

【25/2/10】来迎寺

下社秋宮から中山道を宿場町を歩きつつ。
塩ようかんの新鶴で塩ようかんを買う。お土産に。
あげちゃったから自分では食べていないけれど…
自分用にも買うべきだったな。。

途中で青塚古墳を見る。
諏訪唯一の前方後円墳らしい。
石室への穴が露出しているため覗き見ることはできるけど
中は暗くてよくわからない。
6世紀後半頃のものという、なかなか立派だから当時の豪族のものかな?

そんなこんなで来迎寺へ。

H25021001来迎寺

■引接山 聖聚院来迎寺
創建:不明
宗派:浄土宗
本尊:阿弥陀如来

創建は天文10年(1541)諏訪右衛門尉が開基となり栄海上人を招いて開山したのが始まりと伝えられる一方、
平安時代の和泉式部に所縁のあるお寺とも言うので
結構古いようです。
境内には温泉も湧いています。
この寺院は銕焼地蔵尊の言い伝えのほうが有名みたい。

ご朱印には「念仏為先」って書いてあるのかな…
最後の一文字がどうも分からないw
聞いておけばよかった。
諏訪地方で頂けるご朱印に関しては
神社のほうが有名すぎて、寺院の情報はどうも少ないんだよなぁ…

DSC_4169.jpg
[ 2013年05月06日 21:22 ] カテゴリ:寺院 | TB(0) | CM(0)

コミティア104お疲れ様でした

というわけで5/5のコミティアに参加しました。
来て下さった方々、ありがとうございました。

コミティアはまったりと過ごせてよいですね。

新刊は近々 comic zinさんで委託予定なので
準備次第更新しようかと思います。
[ 2013年05月06日 08:20 ] カテゴリ:イベント | TB(0) | CM(0)

【25/2/10】諏訪大社下社秋宮

随分時間が空いてしまったのでだいぶ内容を忘れてますが…
連休も原稿もひとまずは一段落したので
またちょっとずつ参拝したご朱印を載せていこうと思います。

2月9日は上諏訪駅前で地酒を飲んで駅前のホテルに一泊。
そのホテルはビジネスでそこそこ安いのだけど
大浴場が温泉で24時間かけ流しという、良心的な宿で
以前に諏訪に行ったときにも利用したお宿。
地酒は、宮坂醸造の真澄のあらばしり、豊島屋の神渡の大寒しぼり、
田中屋酒造の水尾あたりまでは覚えてるけど
後はもう忘れました…

と、そんなかんじで飲んだくれ、翌日は電車で下諏訪駅へ。
駅前に温泉が引いてある水場があったり、御柱があったり。
まずは諏訪大社下社秋宮へ。

H25021001諏訪大社下社秋宮


■諏訪大社下社秋宮
創建:不明
祭神:建御名方神 八坂刀賣神 

おおよその創建や祭神については上社と変わらず。
下社は夫婦でお祭りしてますが、
8月1日から1月31日までの期間は祭神が秋宮に宿られます。
春宮と秋宮を毎年行ったり来たり、神が船に乗る遷宮祭が毎年行われます。
八月一日は八朔で旧暦の8月1日、新暦で言えば9月10日前後、
稲穂が実る頃に両神がこちらの社に遷することから通称秋宮か。
という謂れを考えてしまうと上社が狩猟を感じさせる神殿のあり方に対して
下社は農耕を感じさせますね。
諏訪信仰の古い、初期の狩猟生活をし守屋山を奉じた上社に対して
後から入植した農耕文化を持つ民族(出雲系?)が奉じたものが下社かなと
単純に思ってしまいます。

神職についても、上社は建御名方神の後裔である大祝である神氏であることに対し、
下社は科野国造の後裔である金刺氏が務め、
狩猟民の信仰する神・洩矢神を建御名方神に上書きされ、
それをその子孫がお祭りし、
農耕民の信仰する移民の神をさらに外部の科野国造の子孫が祀るという
なんとも不思議な構図。
科野国造の始祖は神八井耳命で、父は神武天皇、母は媛蹈鞴五十鈴媛命。
大和朝廷から派遣された大和系の集団だったのだろう。
いうなれば、
最初にいた狩猟民を、後から来た農耕民が神を「監視」し、
さらにそれを大和朝廷から派遣されてきた民族が農耕民の神を「監視」している状態かな。
故に、諏訪の神は10月に出雲に行けません。

下社秋宮の拝殿の延長線上には浅間山があり、
遠く浅間山を拝んだのだろうか…
富士山も神様の名前は浅間大神。
九州の阿蘇山、三重の朝熊山と
古代の信仰の対象であった霊山を「アソマ・アサマ」と読んだのだろうか。
三重の朝熊山は現在は臨済宗の金剛証寺があるが
以前は伊勢神宮の内宮の奥の院とも呼ばれ、
創建は6世紀半ば、欽明天皇が僧・暁台に命じて明星堂を建てたのが初めといわれて、
またその後は真言密教の道場ともなった寺院。
内宮=天照大神=大日如来=アサマ山と連想させていくと
下社秋宮は大日如来が本尊なのか、とも想像。
農耕においても太陽への信仰は欠かせないものだし。

また駅前に温泉を引いていることからも
諏訪の地が古くより温泉街であったため、
湯治客や中仙道の通行人で賑わったようです。
諏訪湖が中央構造帯上にあることから、
諏訪鉄山もあり、製鉄も盛んだったようで、
自分の中の古い寺社=温泉=鉱山の条件も満ちますな。

DSC_4024.jpg

境内の構造は春宮とほぼ同じ。
写真を整理していても、はてどっちだったか…となるw
3年前にお参りしたときは絵馬をかけられる社が秋宮しかなく
東方系痛絵馬がちらほらありましたが
今はもっと増えてましたw
まぁどんな形であれ絵馬を買って奉納すれば
神社にお金が流れるので良いことですよw

他にも今、諏訪姫の萌えキャラから
諏訪地方周辺の自治体用の萌えキャラのフィギュアで
町おこしの一端を担っているようなので
観光客が集まって活気が出るのは良いことです。
過疎が増えれば檀家や氏子が減って
廃寺廃神社、潰れないまでもご朱印のいただけない無人寺社が
増えてしまうので、
人が集まってこないとね。
[ 2013年05月03日 16:41 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)


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