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【25/4/29】石薬師寺

前日22時には寝て6時起き。
自転車旅は走って喰って飲んで寝て。
ストレッチして、やはり前の日の疲れがまだ残ってるなーといった感じ。
痛みはそれほどないから問題ないか…
ホテルの朝食がサービスだったのでがっつり食べて
7:20ホテル出発

この日は東海道を走って難所鈴鹿峠を越えて滋賀県入りの予定。
ただただ1号を走れば良いだけなので簡単な道…

のはずなのに追分で間違えて旧伊勢海道に入ってしまい気付けば鈴鹿税務署の看板が(ぁ
もういっそこのままお伊勢参り…とも思ったけど
やっぱり京都がいい。
ので、軌道修正…こんなのいつものことですが。
県道27号に何とか合流して1号へ、少し戻って
8:22 石薬師寺着

H25042901石薬師寺

■高富山瑠璃光院石薬師寺
創建:726年
宗派:真言宗東寺派
本尊:薬師如来

寺伝では726年、泰澄がこの地で巨石の出現を見、薬師如来の示現と悟り、
草庵を設け供養したことが、当山の開創とされています。
泰澄は奈良時代の修験僧。
越前国麻生津にて、豪族三神安角の次男として682年7月20日に生まれて14歳で出家、
717年、越前国の白山にのぼり妙理大菩薩を感得し、白山を開山した僧侶です。
石薬師を開いたときにはすでに白山を開いた後ですね。
その後、812年、空海が巨石に薬師如来を刻み開眼法要を行い、信仰を集めるようになり
嵯峨天皇の勅願寺「高富山西福寺瑠璃光院」となります。。
神仏習合の痕跡がイマイチわからないのはやはり勅願寺だからかなぁ。
霊験あらたかな巨石というくらいだから権現様でもいいような感じもする…
この霊石薬師が秘仏として信仰の対象だったから
権現化する必要もないっちゃないか。。

1575年に織田氏の兵により堂宇は悉く焼かれてしまったとのこと。
この頃信長は伊勢侵攻の最中ですね。
桑名城は滝川一益がいたので、滝川の兵が火をつけたのかな。

1629年になって、当時の神戸城城主一柳監物が諸堂宇を再建し、
現在の本堂はこの時のものです。
また、東海道五十三次の宿場石薬師宿にちなみ「高富山瑠璃光院石薬師寺」に改称、
今に至ります。

DSC_5531.jpg

境内は緑が綺麗、しっかり手入れが行き届いた良いお寺です。
こういう観光客が少なくてもしっかり手入れが行き届いた(すごい失礼
神社やお寺は大好きです。
お参りをして社務所でご朱印を頂く。
東海道を自転車で走っている人も結構お参りに来るそうで
特に珍しがられることもなく…w
ここのご朱印帳もオリジナルで歌川広重の五十三次の浮世絵のものなのですが
買おうか悩んだ挙句、買わず…
今思えば買っておくべきだったなぁとちょっと後悔。

次の宿場は亀山ですが…
亀山城跡に亀山神社があり、そこで頂こうと思っていたけど社務所不在。
近くの忍山神社、布気皇舘太神社も社務所不在で亀山でのご朱印は断念。
こんなことなら亀山城に向かう途中で通った亀山八幡宮に寄っておくんだった…

こう振られるといっきに足の疲労が溜まる…
目指すは関宿。

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[ 2013年08月31日 19:08 ] カテゴリ:寺院 | TB(0) | CM(0)

【25/4/28】桑名宗社

三島からこだまに乗って名古屋まで輪行。
三島から名古屋までは去年の連休に走ったので短縮。
本当なら1回で東海道を走破したかったのだけど、
去年は結局、連休の後半が雨でリタイヤしてしまった。

13時過ぎに名古屋到着。
4月末なのに暑っ!名古屋暑っ!
駅を出て人の邪魔にならないような場所で自転車を組む。
慣れたもんだ…と、おもったら靴が何かを踏んでずるっ!となって
何かと思ったらガムだった…
そういうがないことを確認してから自転車を広げたのだから
組んでいる最中の通行人が吐き棄てたものだろうか…
ガムを道に吐き棄てるやつは親の死に目に会えなればいい、と呪詛する。

そんな厭な気分で名古屋を出発。
名古屋の宿場は熱田のあたりの宮宿ですが
熱田神宮は何度かお参りしているので今回はスルーして先を目指す。
近鉄名古屋線を併走しつつ1号に合流するように走る。
…が、線路と併走する場合、必ずしも併走し続けられることは少なく、
少し住宅街に入ったものなら一気に方向感覚を失います…

と、うろうろしながら
14:35 木曽川越え
あれが長島スパーランドかぁ…
木曽川を越えるとすぐに長良川。
14:39 三重県入り
と、桑名に入りました。

15:07 桑名宗社到着

H25042802桑名宗社

■桑名宗社
創建:平安時代
祭神:
桑名神社:天津彦根命 天久々斯比乃命
中臣神社:天日別命 相殿 春日四柱神 (建御雷神 斎主神 天児屋根命 比売神)

桑名神社と中臣神社の両社から成る神社。
桑名神社は平安時代にはすでに延喜式神名帳にその名の見える古社で
中臣神社も769年に常陸国の鹿島神宮より建御雷神霊を分霊した神社。
桑名の総鎮守社として篤く崇敬されています。

祭神は、桑名神社は天津彦根命と天久々斯比乃命。
天津彦根命は天照大神の八尺勾玉の五百箇の御統の珠から生まれた五柱の男神のうちの一柱。
桑名の豪族・桑名首の祖神であり、桑名首は桑名の地を開拓した氏族です。
天久々斯比乃命は天津彦根命の子とされています。
中臣神社の祭神の天日別命は伊勢国造の祖。
伊勢国造の本姓は中臣氏なので中臣神社か。
伊勢を開拓した神と中臣氏系の伊勢国造を祭る神社ですね。

桑名宗社には石取祭という奇祭があり、
30数台の祭車が、鉦や太鼓を一斉に打ち鳴らして練り歩く勇壮豪快な様から、
「日本一やかましい祭りとも呼ばれるそうな。
石取祭りの由来は諸説あるみたいだけど
祭神の天日別命(天日鷲神)は、天照大神が天岩戸に入られたとき、岩戸の前で弦楽器を奏でた神だから
賑やかな音楽の祭りをしてるんじゃないかと思ってしまう。

別当は天台宗の宝興山喜禅寺仏眼院で本尊は文殊菩薩。
最澄によって開かれた由緒ある寺院です。
ノーチェックだったのでお参りできず。
今度お参りしてみよう。

DSC_5431.jpg

到着した頃には膝が痛くてたまらず。
お参りをしてご朱印をお願いしようと思ったら車のお払い中で
しばし境内で休憩。
その間に今日の宿を決める。
まだ時間があったので四日市のホテルに電話し宿を確保。
あと15キロくらいならなんとかなりそうだ。
ご朱印をお願いして四日市を目指す。

16:40 近鉄四日市駅着

途中で諏訪神社にお参りするも社務所不在。
ならばと鵜の森神社にお参りしたけど同様。
四日市宿でのご朱印は頂けず、無念。
今日は86キロだけど箱根で膝を消耗しすぎた…

ホテルにチェックインして、ありがたいことに大浴場もあり
しっかり膝と足のマッサージ。
風呂上りには余念なし、エアサロンパスで足を保護しておく。

さて、夜の四日市の堪能しましょうか、と
四日市はトンテキが美味いというのでトンテキの店を探す。
まずは栄養補充にビールで乾杯(ひとりで
四日市は宮崎本店の酒蔵があり、宮崎本店といったらキンミヤでお馴染み。
わざわざ四日市まで来てキンミヤをホッピーで割るとは思わなかったけど
関西でホッピーが飲める機会が少ないので、折角なのでホッピーも。
トンテキと串カツ食いつつほろ酔い。
次はどこを梯子しようと思いながら、
どこもそこそこ混んで居るし、一人で居酒屋に入るのは結構勇気が要るんですよ…
で、目に付いたガンダムバー「サイド6」に(ぁ
ここまできてわざわざガンダムwwという感じですが
逆に居酒屋に個性がなかったんだよ!(怒
トンテキなんて東京でも食えるわい!
(四日市さんごめんなさい
店主とガンダム談義をしながらジントニックを数杯頂き
OVAの「MS IGLOO」を観ておあいそ。
「MS IGLOO」がいつごろのどんな話なのかは最後までわからなかったけど。

と、21時過ぎにホテルに帰って就寝。
明日は鈴鹿峠を超えて滋賀を目指します。
[ 2013年08月28日 19:04 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)

【25/4/28】箱根神社

前日の疲れはそれほど残っておらず、お尻は痛かったけど、
しっかり4時半に起床。
シャワー浴びてから足のストレッチをしっかりやって
朝ごはんのおにぎりを食べていざ出発。朝5時。

5:26 箱根町入り

すでに上り坂オンリーなのでひいひいである。
朝早く出たとはいえ、やはりそれなりに車の往来はあるし
このまま1号を走るか、旧道を走るか悩みつつ…
途中で轢かれた猫の死体をカラスが突く様を見てしまい
明日は我が身…とばかり安全運転を誓い
結局旧道をゆっくり行くことに。

三枚橋の信号を左に入って旧道スタート…
早速激坂、というか壁で後悔。。

と、きつい箱根峠を超える様を書くだけで本が一冊掛けてしまうので割愛。

7:55 芦ノ湖到着

ホテルを出てから3時間くらい掛かった計算ですが
ほとんど自転車を押して歩いてたので当然ですw
自転車と違う筋肉使うから右足の膝の裏の筋が軽く痛み出した;;

箱根神社前に着いて芦ノ湖の写真を撮っていたら
初老の夫婦二人に声を掛けられて
自転車で云々、そんな話をする。
すると今日は天気が良くて雲がまだ出ていないので
セブンイレブンのあたりから綺麗な富士山が見える、と教わり
お参り前に富士山を拝みに。

おお、これは絶景。

ひとしきり富士を堪能して箱根神社へ向かう。

H25042801箱根神社

■箱根神社
創建:孝昭天皇の治世
祭神:瓊瓊杵尊、木花咲耶姫命、彦火火出見尊

古来から山岳信仰の霊地で、歴史は古い。
孝昭天皇の時代、聖占仙人が駒ヶ岳を神体山として神仙宮を開いたのに始まり。
孝昭天皇の御世というと、2000年以上前ということにはなりますが
それくらい古い…ということですね。
そして757年、万巻上人が現在地に里宮を創建して
僧・俗・女の三体の神を箱根三所権現として祀ったと言われます。
万巻上人は、芦ノ湖に住む9つの頭を持つ毒龍(九頭龍)が
荒れ狂って村民を苦しめていたのを法力で調伏したという伝説もあります。
箱根神社を少し行くと九頭竜神社があり、そちらは昨今
パワースポットとして有名になっていますね。
九頭竜伝説は日本各地にあり、大概が村を苦しめる龍や蛇を
修行者が調伏させるというパターンで
古い文化から新しい文化への交代を表しているのかな。
そこには武力による侵略行為もあったと思いますが。
そもそも龍や蛇は神聖な動物の象徴ですしね。
芦ノ湖という水源があり、さらに箱根の山は活火山で
硫黄泉が湧くために、硫黄の採掘利権も得られるし、
律令国家形成とために東海道を支配するに当たり、
箱根峠は交通の要所でもあり、あの一体を支配することに
重点を置いていたのかな。

祭神は箱根三所権現で、現在の祭神になるのは明治の神仏分離以降のことで
それまでは箱根の権現様でした。
三所権現(法躰・俗躰・女躰)の法躰は三世覚母の文殊菩薩の垂迹、
俗躰は当来導師の弥勒菩薩の垂迹、
女躰は施無畏者の観世音菩薩の垂迹とされる。
別当は箱根山東福寺で明治に箱根神社に改められました。
天台宗密教と結びつき、また、鎌倉時代になると
東国武士の篤い信仰を集めました。
明治の神仏分離でこのような権現や明神と呼ばれた神々に
古事記に記載された日本名の神様を無理矢理当てるようになったので
文殊菩薩・弥勒菩薩・観世音菩薩と法躰・俗躰・女躰から
瓊瓊杵尊・木花咲耶姫命・彦火火出見尊になったのかが不思議。
火山だから木花咲耶姫命というのはわからなくもないけれど安直だなぁ。
1000年以上続いた信仰を上書きした現在の神道の姿からは
あまり過去を遡れないので残念。

DSC_5216.jpg

箱根神社参拝は平成14年10月14日以来。
と、ご朱印を集めているとこうやって日付もばっちり解るので便利w
11年ぶりですね。
大学4年のときにゼミの合宿で箱根のセミナーハウスに泊まって
翌日芦ノ湖観光したんだった。
この年は夏に大きな台風が来た影響でセミナーハウスの温泉を引く配管が故障して
温泉に入れず、芦ノ湖畔まで出て温泉に浸かって、
芦ノ湖で白鳥ボート漕いだんだった。
色々思い出したw
あ、年がばれる。

箱根神社の境内を散策しつつ、足を休ませる。
小一時間ゆっくりして出発、三島を目指す。

芦ノ湖からはずっと下りだと勝手に思い込んでいたのに
静岡との県境まではずっと上りだった…
ひいひい言いながら無事峠越え。

9:22 静岡県入り

ここから三島まではずーーーーっと下り。
しかもかなりな急勾配。
ブレーキ半入れ状態でないと怖い。
40分足らずで三島駅へ到着。
上りは3時間以上掛かったのになぁ…w

三島大社は去年お参りしたので今年は道なりに遥拝。
三島駅で自転車を片付けて新幹線で名古屋を目指します。





[ 2013年08月25日 11:43 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)

【25/4/27】報徳二宮神社

13:52 二宮町入り。
もうすぐ小田原。
途中に川勾神社もあるけど素通り…
一応宿場1つに1つお参りというmyルールの元に走っているので
大磯宿のご朱印は六所神社で頂いてしまった。
次は小田原宿なので、二宮宿があれば寄ったのだろうけど。
いずれは行きますが…

ここまでくると海が近く景色が楽しめる。
山が近いからかアップダウンが少々気になるが。
途中、自転車旅中の女子3人組を追い越したけど
特に声を掛けるようなことはしません…

14:23 酒匂川を越える。
もうすぐ小田原城、と思っていたらすぐ着いたw
14:38 小田原城で1日目ゴール。
この日は107キロ走りました。
出発時間を2時間間違えなければこの日のうちに箱根を越えられたのに…
とはいえ、107キロも走るとすでにお尻が痛い。
思い起こせば、今年に入ってからなんだかんだでロングライドの練習することなく
東海道越えを迎えてしまっていたからなぁ…

H25042704報徳二宮神社

小田原城に隣接する報徳二宮神社にお参り。

■報徳二宮神社
創建:明治27年(1894年)
祭神:二宮尊徳

明治になって出来た新しい神社です。
祭神は二宮尊徳、通称二宮金次郎。
一昔前の学校には必ず像があったことでお馴染みの彼です。
赤貧であっても勤勉で、薪を背負いながらも書物を読んで勉学を怠らなかった姿を見習うべし、と
戦前から多くの学校に設置されましたが
校舎の立替等で昨今は消えつつもあり、
「薪集めを子供にさせるだなんて虐待だ」
「本を読みながら歩くのは危険」
「子供に働かせることを美化している」等、
トンチキな声も小数ながら上がっているとかで
ああ、二宮先生の思想は現代人には語り継がれませんでしたよ。

そんな二宮尊徳は1787年に小田原市栢山に百姓の子として生まれ、
幼少期に災害で田畑をなくし、若くして両親を失ったため、
伯父・二宮家に身を寄せて農業に励み、荒廃した田畑の復興に勤め、
20歳で生家の再興に成功したそうです、努力家です。
生家の復興に成功してからは地主経営の傍ら、
武家奉公人として小田原藩で働き、そこで才能を買われて
奉公先の家老服部家の財政立て直しを任され見事成功し、
その後も多くの領地の財政立て直しを手がけます。
大出世ですね。
武家奉公人というのは今で言うみなし公務員のようなものかな。
正社員というよりは契約社員のようなポジションでもあるのかな。
ちなみに当時の小田原藩は1707年の富士山の宝永の大噴火や度重なる災害で財政は逼迫し、
商家ですら金を貸したがらなかったそうで、
小田原藩の経済が如何に行き詰っていたのかがわかります。
そんな小田原藩が尊徳登用後に起こる1833年の天保の大飢饉では
日本中で多くの餓死者が出ましたが、
尊徳が財政再建を手がけた旗本宇津家の知行所の下野国桜町領では餓死者が出なかったといいます。
数年前から飢饉に備えて稗を蓄えていたことが功を奏したようです。
そんな尊徳の財政再建策を「報徳仕法」といい、
基本的な概念は「報徳思想」によるもの。
尊徳が説き広めた道徳思想であり、経済思想・経済学説のひとつで、
経済と道徳の融和を訴え、私利私欲に走るのではなく
社会に貢献すれば、いずれ自らに還元されると説く。
詳しくはwikiっていただきたい。
その報徳思想が報徳二宮神社の名前の由来です。

DSC_4975.jpg

自転車は神社正面の駐車場の隅っこに自転車を置かせていただく。
神社のお参りの場合は良いけど、お城の観光の場合はだめらしい、ので
お参りが終わったら早く退けてくれとのこと。
観光客の車ばかりになったら邪魔ですもんね…

境内は庭の手入れも綺麗。
お参りして報徳会館内でご朱印を頂く。

小田原城を外観だけ眺めて近くのホテルにチェックイン。
大浴場は無いけど裏に温泉施設があるというので早速「万葉の湯」へ。
ちょっと高いけど綺麗だし、アメニティグッズも無料で
サウナもあり、さらにサウナ入り口に氷も置いてあって
氷を舐めながらサウナに入れるというありがたいサービス。
ここまでしっかりしているならちょっと高くても快適である。

小田原に来たからには海の物を肴に飲まないわけにはいかないと、
16時半頃から駅前で酒を求めてうろうろ…
一軒目は旬の鯵のなめろうとツブ貝の刺身。
二軒目も魚メインにがっつがつ喰って、グイグイ呑んだ。
が、107キロ走るとどんだけ食っても胃が満たされませんw
ほどほどにしてホテルに帰って就寝。
21時過ぎには爆睡してました。

明日は箱根を越えないといけない…ガクブル
[ 2013年08月24日 18:40 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)

【25/4/27】六所神社

平塚八幡宮を出てから1号をひた走る。
海が近くなってきたので磯臭い。
13:09 大磯入り。
目指す六所神社までもう少しだけど
結構お尻が痛くなってきたw

13:35 六所神社到着

H25042703六所神社

■六所神社
創建:崇神天皇甲申年
祭神:櫛稲田姫命、須佐之男命、大己貴尊

崇神天皇甲申年に出雲から移住し開墾し、柳田郷と称し、
出雲の神である櫛稲田姫命、須佐之男命、大己貴尊を柳田大明神として
六所神社の北西の「石上台」に祭ったのが始まり。
今は「石神台」という地名で残ってますね。
「石上台」がまたの名を「伊勢神台」とも書いたそうな。
「伊勢」は「石」に通じる言葉なのか…
多く残る「石神」も「伊勢神」なのだろうか。

崇神天皇の御代には甲申の年がB.C.97年とB.C.37年の2回あるので
どっちなんだろうか。
崇神天皇は120歳まで生きられたというのだから60年くらい政治をしていても
おかしくはない…いや、おかしいw
崇神天皇の存在自体、未だに研究者を悩ませる存在なので
いずれは解明するのかな…

718年に元正天皇の勅を以って、当社を相模国の神祇の中心として総社に定めるという宣下がなされ、
これにより現在地へ遷座した、というのだからなかなか由緒がある神社です。
六所神社の由来を記した「六所明神之縁起」は今は西に600mくらい離れた蓮花院にあるという。
六所神社の別当は神揃山の麓の眞勝寺。
六所神社と平塚八幡宮の関係は先に述べたので割愛。

時間が有れば相模六社めぐりをしてみたい。

DSC_4900.jpg

境内は落ち着いていて、池の手入れもしっかりしている。
お参りしつつ小休止。
ここから小田原城まで頑張って走る。
[ 2013年08月17日 01:08 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)

C84お疲れ様でした。

日記を書くのを忘れていました。。
日曜から飲みっぱなしで(ぁ

というわけで、コミケお疲れ様でした。
自分の参加した11日は一日中30度を下回らないという
気が狂ってるような陽気で、朝5時に家を出た時点で
外あっつ!と感じるほどでした…

今回でご朱印本も6冊目になり、コミケとティアで年に数回、
イベントに出ていることもあり、なんとなくですが
常連さん?の顔も覚えてきたような…そうじゃないような…
気軽に話しかけて頂ければ喜びます。

お世辞でも、毎号楽しみにしてます的なことを言われると
ようーし、次もがんばっちゃうぞ、と気分も高揚します。
うちの本を読んでからご朱印集めを始めました、という方もいて
ちょっと嬉しかったり。

お隣のスペースの方ともいろいろ話が出来て
今回は実に有意義なコミケでした。
会場内には雲が出来てたのも印象的…

次のイベント参加は

コミティア105
ビックサイト 
8/18(日) さ21b

です。
コミケの配布物と中身は変わりませんのが
コミティアはコミケよりまったりとしていて
会話を出来る暇も多いので、
お時間がある方は是非お寄りください~
[ 2013年08月14日 07:16 ] カテゴリ:イベント | TB(0) | CM(0)

【25/4/27】平塚八幡宮

遊行寺を出て茅ヶ崎へ。
折角なので少し海を見ながら走る。
俺の家も近い~♪的なかんじで。
このあたりになると富士山がしっかり見れて
走っていても気持ちがいい。

12:33 平塚八幡宮到着。

家から70キロくらい。
もう折り返せないのでゴールの京都を目指す。
昼を過ぎたのでそろそろ宿も考えないといけない。
予定では三島で一泊したかったけど
これから夕方に箱根を越えるのは危険かなと思ったり、
箱根神社をお参りできなくなりそうなので小田原に宿を探す。
小田原城近くのビジネスホテルに電話して無事宿をget。

H25042702平塚八幡宮

■平塚八幡宮
創建:380年
祭神:応神天皇、神功皇后、武内宿禰命

祭神は八幡宮なので応神天皇。
明治期の神仏分離令の影響で全ての神社の祭神を見直したときに
応神天皇と誉田別尊で同一だけど呼び名が統一されたなったのはなんでなんだろう。
まぁそんなの多そうだけど。

社伝によると仁徳天皇68年(380年)、この地方を襲った大地震に際し、
仁徳天皇の勅願により応神天皇を祭神として創建されたものである、とのこと。
関東でも屈指の古さを誇る神社です。
古くは鶴峯山八幡宮と呼ばれていたので、最後に「寺」が付くのかな。
別当は等覚院(鶴嶺山成事智寺、真言宗)、今は二ノ宮のあたりに移築されたのかな…
平塚八幡宮は毎年5月5日に大磯町国府本郷の神揃山で行われる国府祭に参加する相模五社の1社でもあり
一宮の寒川神社(寒川町)、二宮の川勾神社(二宮町)、三宮の比々多神社(伊勢原市)、
四宮の前鳥神社(平塚市)、五宮の平塚八幡宮(平塚市)、総社の六所神社(大磯町)の御輿が集まる、
相模国五宮ではあるが、一国一社の八幡宮、鎮地大神とも称えられています。
五社の位置を考えてもレイライン的なものも浮かばないなー。。
神揃山は大磯町国府本郷にある山(というけどぐぐっても山名は出ず)で
近くには守公神社が鎮座し、祭神は足摩乳命、手摩乳命。
大山阿夫利神社の祭神の大山津見命の子供なので相模における大山信仰の名残かな。
大山と神揃山を結んだ線上には弘法山があり、
大山寺も神揃山の麓の眞勝寺は真言宗のため、真言宗の支配下にあったのかなぁ…

また平塚と大磯に跨る高麗山には明治期までは高麗寺があり、
今は高来神社といい、祭神は神皇産霊尊、天津彦穂邇々伎尊、応神天皇、神功皇后 で、
古くは高麗権現を祭っている。
高麗権現社の歴史は古く、三韓征伐に勝利した際に、重臣の武内宿禰が高麗大臣和光(高麗大神和光)を
奉ったのが高麗権現社の起源とされ、
その後に717年、僧の行基が漁民により海中から引き揚げられた千手観音を高麗権現の本地仏として祭り、
高麗寺の歴史が始まります。
ちなみに埼玉県日高市に鎮座する高麗神社の祭神も高麗若光で
668年に唐・新羅に滅ぼされ亡命して日本に居住していた高句麗からの帰化人を朝廷はこの地に移住させたため
高麗神社周辺は武蔵国高麗郡と呼ばれました。
三韓征伐は紀元200年頃の神話であることに対し、
高麗神社由来の高句麗滅亡とは年代の開きがあるので
同一人物であるかどうかはわかりませんね。
三韓征伐の神話が白村江の戦いや麗唐戦争といった600年代後期の対外戦争を元に
720年に編纂された日本書紀に影響を与えたと考えると面白いかな。
そうなると神功皇后は女帝である皇極天皇がモデルになるか…

高来神社の高麗大神和光は神皇産霊尊として今は祭られていますが
高麗大神和光は読んで字の如く高麗の神であり、
それが造化の三神の一とされる神皇産霊尊と同一視されているわけで、
この地において、いかに大きな神であったか、ということが想像できます。
平塚大磯の地は、古代は大陸からの渡来人が移り住んだ地であったことが伺えます。
一宮の寒川神社を祭ったのも高句麗系渡来人であったといわれているし
関東は渡来人の痕跡を残す土地も多いですね。
ひとつは当時の朝廷にはすでに中国に倣った「日本式中華思想」が生まれていたため、
畿内より外の民族は皆蝦夷という蔑視する意向により、
文化を伝えた大陸からの渡来人も一方では夷狄である、とされたのではないか。
また、北東は都の鬼門であり、また東国には未だに大和の勢力範囲ではなく
蝦夷の地であったために、「鬼門封じ」として東北の蝦夷には渡来の夷狄を当てたのではないか、
そしてそうした東国鎮護を任された一族が時代が上るにつれて
東国武士として発展して行き、彼らが時代を支配する武家政権が誕生すると考えると
なかなか面白いです。
平塚八幡宮も724年頃にに宇佐神宮から勧請を受け八幡宮となると
鶴岡八幡宮と並んで東国武士から篤い信仰を受けるようになりました。

DSC_4870.jpg

境内は広く、社殿に向かう途中にアヒルがいて愛でる。
雰囲気がいい神社なので、もっとゆっくり見たかったですが
自転車旅では過剰な観光は出来ません。
目指すは小田原。
[ 2013年08月06日 22:35 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)

【25/4/27】遊行寺

冨塚八幡宮を後にして、このまま1号を走る。
10:57 遊行寺到着。
ゆるやかな下り坂が続いて気持ちよかった、と思う。
もう3ヶ月も前のことなので思い出すにも時間が掛かる…
こういう旅行記はしっかり記憶のあるうちに記さないといけないなぁ。

H25042701遊行寺

■藤沢山無量光院清浄光寺
創建:1325年
宗派:寺宗
本尊:阿弥陀如来座像

時宗遊行上人四代呑海が相模国藤沢に開山したため、通称「遊行寺」の方が有名。
時宗の総本山です。
遊行上人第四代呑海は藤沢市周辺俣野の領主俣野氏の一族である俣野五郎景平の弟。
寺院の開祖は兄・景平で、呑海のために建立した寺院といわれます。
俣野氏は鎌倉氏出の俣野景久を祖とし、
景久は平安時代末期の治承・寿永の乱において平氏方につき石橋山の戦いなど各地で転戦したもの
最後には戦に破れて死亡、その頃より衰退しはじめ、鎌倉時代に入ると
すでに没落していたようです。
そんな没落武家の俣野氏から1265年に生まれた呑海は遊行上人2世・真教に師事し、
1319年遊行上人を継ぎました。
ところが1320年に遊行上人2世・他阿智得が相模原にある当麻道場(無量光寺)で没した際に
遊行に出ていたため智得の弟子の真光が当麻道場の住持となったので当麻道場に入ることが出来ず
兄・景平の援助によって建立されるという経緯がありました。
結果、のちに時宗十二派中最大の遊行派の総本山となり、
呑海は藤沢上人の初代として清浄光寺に独住することとなります。
兄・景平は遊行寺境内に俣野権現として祀られています。

時宗は浄土教の一宗派。
平安時代末期に末法思想が流行すると、こぞって貴族は極楽浄土を求めて阿弥陀仏に縋り、
極楽浄土を想像した寺院を建築したり、阿弥陀仏の垂迹である熊野権現に救いを求めて
熊野詣が流行ったりしました。
こういった時代の中で、阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く浄土教が広まり、
また政権が貴族から武家へと移り変わる鎌倉時代になると
仏教も武士階級・一般庶民を対象とした信仰思想の変革が起こりました。
これが「鎌倉仏教」でそこから浄土思想を根底に持つ新仏教が生まれてきます。
法然の浄土宗です。
そこから親鸞が学び、浄土真宗を起こし、
法然の孫弟子である浄土宗の聖達を師事したのが時宗の一遍です。
一遍は熊野本宮大社で熊野権現から啓示を得て悟りを開き、時宗を開宗したとされます。
浄土宗は念仏(南無阿弥陀仏)を唱えることで貴賎や男女の区別なく西方極楽浄土へ往生できると説き、
浄土真宗はそこにさらに念仏を唱えれば信者でなくとも往生できると説き、
時宗は阿弥陀仏の絶対性は「信」すらも不要で、念仏を唱えることのみで極楽往生できると説いており
成立の時期によって極楽への道が近くなっている感じがしますが
自分のような門外漢が各々宗派を語るのは愚考でしかありません。

時宗の遊行(布教活動)では、賦算と踊念仏を行いました。
賦算は「南無阿弥陀仏、決定往生六十万人」と記した札を配ることで
踊念仏は太鼓・鉦などを打ち鳴らし、踊りながら念仏・和讃を唱えること。
この念仏行者の中から猿楽師の観阿(観阿弥)、世阿(世阿弥)が生まれます。
室町幕府の第3代将軍足利義満が京都の今熊野において、
観阿弥とその息子の世阿弥による猿楽を鑑賞したことも熊野と時宗の繋がりによるものではないかと。
出雲阿国の創始した歌舞伎踊りにも踊念仏が影響したとも言われ
能や狂言、歌舞伎の発生には時宗の存在があったことを考えると
他の宗派とは毛色の違う、庶民的なものだった感じがしますね。
また、盆踊りにも影響をあたえました。
盆踊りの起源は「念仏踊り」で「踊念仏」とは別物ですが
時代の流れとともにさまざまな芸能と融合し、地域色のある今の盆踊りになったのでしょう。

そんな時宗の総本山遊行寺を参拝。
ちょうどこの日は境内でフリマをやっていたようです。
ここまで55キロ近く走ったのでお参りの前にミニアンパンを1つ頬張る。
ロングライドにはミニアンパンは必須ですw

境内は立派、時宗が大きな教団であることを実感させられます。

DSC_4795.jpg

ご朱印を頂きに寺務所へ行くと、販売物の中に
梅原猛のサイン入りの著書があって
欲しくなってしまった…
[ 2013年08月03日 18:29 ] カテゴリ:寺院 | TB(0) | CM(0)

C84新刊情報

7月に入って全然ブログがry

毎度おなじみ、原稿執筆中はブログを書いている暇はござんぜん。
お酒飲む時間はある。
その時間を他のことに当てれば良いのに。

というわけで
8月11日(日)にちゃんと新刊が出る運びとなりました。

8/11(日) 東P-49b です

あ、ついでに翌週のコミティア105にも出ちゃいます

8/18(日)さ-21b です
こんなに廃ペースでイベントに出てると婚期を逃しますよ!

20130731-1.jpg

表紙はこんなかんじです。
ご覧のとおり、新撰組本です。
好きです新撰組。
新撰組所縁の地でご朱印を頂いてきました。

中身はこんな感じです。
いつもと変わらず。

20130731-2.jpg

フルカラー20ページで500円です。
寄っていただければ幸いです。
[ 2013年08月01日 22:31 ] カテゴリ:イベント | TB(0) | CM(0)


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