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【25/06/08】日向薬師

さて、登頂したので下山します。
帰りは日向薬師へ依るために別ルートを通ります。

11:00 下山開始

下山のほうが気分は楽ですが、膝や足首に負担がかかりやすいので
慎重にゆっくり進みます。
日向薬師ルートには険しくはないけれど鎖場もあり、
ちょっと登山気分が味わえたした。
40分くらいで見晴台に到着。
見晴台でちょっと休憩。
見晴台からはルートは2つに分かれます。
一方が大山阿夫利神社下社へのルート、
もう一方が日向薬師ルート。
前者には途中に滝があるようで
登山客の9割がそっちのルートを使っていたようです。
日向薬師ルートで下るのは自分だけ。
急に寂しくなってきました。
この道で間違ってないよね…なんて気分になりますが
たまーに登山客とすれ違ってほっとしたり。
途中で蝉の幼虫が穴から出てきているところを見たり、
都会では見かけない蜻蛉や蝶を見てテンションが上がる。
オニヤンマなんて都心じゃ見られないもんなぁ。

12:30 下山

車道に降りてきて山道は終了。
目的地のキャンプ場に無事到着。
後は道なりに下っていくだけ。
途中で浄発願寺と石雲寺という寺院をお参り。
どちらも住職不在でご朱印は頂けず。
山の中の長閑な畑を通ると日向薬師の看板と
熊出没注意の看板が。
いや、熊とか出られても困りますし…
看板の案内通りに歩くとちょっと上り坂。
まぁ今日最後の上り坂だろうから頑張ろう…

13:22 日向薬師到着

H25060802日向薬師

■日向山霊山寺宝城坊
創建:716年
宗派:高野山真言宗
本尊:薬師三尊

どうやらさっきの看板は車での参拝客用の道案内だったようで
駐車場前に着いてしまいました。
参拝客用に農家がニューサマーオレンジを売りに来ていて
5個で100円だか200円だったか。
忘れましたが美味しそうだったので購入。
帰ってから頂きました。
日向夏ってやつですね。甘酸っぱくて美味しかったです。

というわけで日向夏を片手にお参り。

日向薬師は元の名を日向山霊山寺と称した薬師如来信仰の霊場で、
関東地方では有数の古寺です。
開祖は行基といわれています。
遡ること、668年、唐・新羅連合軍に敗れた高句麗の王族・高麗王一族が日本へ亡命し、
朝廷の支持で相模国大磯へ入植し、各地へ土着したといわれ、
大磯には高麗神社があります。
さて、巡錫してきた行基が日向山に薬師仏を彫ろうとしたところ
良い木がなかったため、若光は数尺の香木を与え協力したという伝説があります。
日向薬師山門前には白鬚神社があり、
そこの祭神は高麗王若光です。
高麗王一族はその後に武蔵国へ移り、
今の日高市にある高麗神社付近を拠点としたといわれます。
「白髭神社」というと「新羅明神」を祭ったり
はたまた「高麗王若光」を祭神にしたりと、どっちなんだい?という感じですが
東国へ住むように命じられた朝鮮半島からの渡来人、特に高句麗・新羅からの一族の奉じる神社を
総じて「白髭」という言葉を当てたんじゃないかと、想像します。
4,5世紀の中央集権国家への地盤を造っている時代では
大陸の先進技術や文化を持った渡来人は重要視されましたが、
畿内に大和朝廷が成立し、「隋書」の東夷伝では倭国がすでに
百済・新羅に大国として崇められている、という記述があるように、
7世紀になると日本は他の極東アジアの国々の中で自我を見出しており、
隋の煬帝に対して、立場が対等とも読み取れる国書を送ったほどです。
4,5世紀には文化の担い手として渡来人を重用し、畿内周辺に住まわせたことに対し、
7世紀には渡来人の王族を東国に追いやる始末です。
7世紀といえばまだ東国は蝦夷の地であり異国の地でした。
蝦夷の地を異国の渡来人に与えて「地ならし」をさせ、
そこに仏教僧を派遣して布教し、大和朝廷の勢力圏にしていったのではないかと想像します。
そんな異国の地に住まわされた渡来人の末裔が東国武士であり、
彼らの台頭で平安時代が終焉を迎えるわけですから、歴史はわからないものですね。

そんな行基が開祖といわれる日向薬師ですが、
奈良時代にさかのぼる寺院跡は発掘されておらず、実際の創建は10世紀頃と推定されているそうです。
今後の発掘調査で奈良時代の痕跡が見つかる可能性もあるので
期待ですね。
鎌倉時代にも信仰があり、源頼朝も政子の安産祈願のために
霊山寺で祈祷を上げさせたという記述があります。
近世の日向薬師には別当坊の宝城坊を含め13坊があり、
それ以外にすでに廃絶した坊もいくつかあったと記載されていることから
寺院としての規模の大きさが伺えます。

中世以降、大山には大山寺と霊山寺という2つの寺院が存在したわけですが
大山寺は修験、霊山寺は薬師信仰と
住み分けがされていたということでしょうか。

しかし霊山寺は明治の廃仏毀釈で多くの御坊御堂が失われ、
山門と村上天皇所縁の梵鐘、薬師堂のみを残すだけとなり、
霊山寺別当坊だった宝城坊が寺籍を継ぎ、今へと至ります。
今でも病気平癒、特に眼病に霊験ありとして信仰を集めています。
眼病というと製鉄を連想してしまいますね。
思えば大山は丹沢山系に連なる山なので
「丹沢」=水銀の取れる山だったのではないかと推測、
修験者が修行したのも頷けます。

DSC_8301.jpg

さて、裏手から入ってしまったので本堂へお参り。
本道は平成25年から改修工事に入ってしまい
自分が参拝したときにはすでに足場も組まれ、
幕で覆われてしまっていました、残念。
ご朱印をお願いすると書置き、こちらも残念。
寺務員のおばちゃんにバスの時刻表を見せてもらい、
まだ時間が有るな、と思っていると
まだ時間が有るから是非宝物殿にお参りをするようにと薦められる。
登山靴脱ぐの面倒だなぁと思いつつも
折角来たのだし、見ていこう。
拝観料は200円だか300円だったか…
中に入って吃驚。
平安時代から鎌倉時代に作られたといわれる
2m弱の仏像がずらり。
十二神将像も12体揃っていて状態もいい。
寺務員のおじさんいわく、ここまで状態がいいものが
12体揃っているのは関東では稀だと言う。
鎌倉後期の作だそうですが、篤い信仰が伺えました。
阿弥陀仏やら薬師如来、四天王像もじっくり見入りました。
宝物殿は防災対策もちゃんとされているそうなので
これからもしっかりと守って行っていただきたい。
重文じゃなくて国宝でいいんじゃないかなぁ。
拝観客には椎茸茶を振舞っているそうで
2杯ほど頂きました。

と、じっくり見ていたらバスの時間が近づいてきた。
境内の階段を下ると山門があり、
そこを出ると先の白髭神社。
寺務員のおばちゃんいわく、
白髭神社のパワーはすごい、という話だったので
行ってみようと思っていたけど、バス停を見たらもうバスが…っ
結局白髭神社のお参りは出来ずにバスに駆け込み帰路へ。

久しぶりの日帰り登山でしたが
なかなか有意義でした。
総評、大山は神社よりも寺院が好み。
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[ 2014年01月27日 21:46 ] カテゴリ:寺院 | TB(0) | CM(0)
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