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【25/06/22】宝泉寺

C84の新刊を新撰組関連のご朱印紹介と決めたので
まずは新撰組といえば日野!
八王子方面までは甲州街道をただただ40キロくらい走っていれば着くので
久々の日帰りサイクリングです。

何時に出発したのかは忘れましたが多分前の日は飲んでいたので
8時頃出発したはず…
ただただ甲州街道をがむしゃらに走ると日野市に入ります。
最初の目的地は宝泉寺ですが
途中で日野宿本陣発見。
日野宿本陣は都内で唯一残る江戸時代に建てられた本陣建物で
幕末に日野宿の問屋と日野本郷名主を務めていた佐藤彦五郎が本陣兼自宅として
1864年12月から使用されました。
佐藤彦五郎は下佐藤家当主で、日野宿組合名主、
石田村の土方歳三の姉・とくと結婚した人物で
新選組の後援者でもありました。
1849年2月10日、日野宿を焼く大火にみまわれて武芸の必要性を感じ、
1850年に天然理心流3代目宗家・近藤周助の門人となり、
自邸東側の一角に日野宿では初となる出稽古用の道場を設け、
その道場に近藤勇、土方歳三、沖田総司らが出稽古に訪れていました。

日野宿本陣を後にし、日野駅近くの宝泉寺へお参り。

10:53 宝泉寺到着

H25062201宝泉寺

■如意山宝泉寺
創建:1330年頃
宗派:臨済宗建長寺派
本尊:釈迦如来

開祖は鎌倉建長寺の曇芳同応大和尚、
創立は元徳年間(1330年頃)で、当初は日野市新町にありましたが、火災に遭い、
その後、現在の地に再建されたといわれています。
本堂は平成13年5月に新築落慶し、境内も整備し直されました。

宝泉寺は井上源三郎所縁の寺院でもあります。
井上源三郎は新選組の六番隊組長で
1829年、日野宿北原にて、八王子千人同心世話役の井上藤左衛門の三男として生まれました。
1847年頃、天然理心流の三代目宗家・近藤周助に入門、佐藤彦五郎が天然理心流の出稽古用に設けた道場で
土方歳三らと共に稽古に励みました。
1862年2月、浪士組に近藤・土方らと参加して上洛、
1863年、芹沢鴨一派が粛清されると副長助勤に就任し、
1865年6月の組織再編成では六番隊組長に任じられました。
1868年1月、鳥羽・伏見の戦いが勃発すると、新選組は淀まで退却、
そして1月5日、淀千両松で官軍と激突し、その最中、敵の銃弾を腹部に受けて戦死しました。享年40。

井上は劇中では初老の男性で描かれることが多いですね。
しかし新撰組全盛期でも30代後半、全体的に若い隊士が多かったので
彼らより年配だったがゆえにそのように描かれたんでしょうか。

井上の首は戦死した鳥羽伏見の戦場近く、
京都市伏見区西桝屋町の欣浄寺に埋葬されたという説が有力です。
宝泉寺に井上家の墓所があることから
井上源三郎の墓が建てられています。
また井上の顕彰碑も建てられています。
日野市日野本町4丁目には井上の子孫が井上源三郎資料館を開いています。
資料館は住宅の敷地内にあるため、
開館日は月に2日程度なので調べていかないと入れません。
この日は勿論入れませんでしたw

DSC_8336.jpg

まずは本堂へお参り。
まだ新築10年の為、非常に綺麗な建物です。
ご朱印をお願いして、井上の顕彰碑へ。
井上家の墓は一般墓地内にあるので行かないのが自分の中でのマナー。
観光地化されているわけではないし。
境内も手入れがしっかりしていて綺麗でした。

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[ 2014年01月28日 22:26 ] カテゴリ:寺院 | TB(0) | CM(0)
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