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【25/06/22】龍源寺

武蔵国分寺から東八道路に入り、東に向かって走る。
西部多摩線を越え、野川公園沿いを南下して
人見道路を東に走ると龍源寺に到着しますが、
先に龍源寺の門前に鎮座する近藤神社へお参り。
神社といっても小さな祠のようなお社ですが。
龍源寺が新撰組の近藤勇の墓所があり、
近藤の生家・宮川家の菩提寺でもあります。
近藤神社は龍源寺から徒歩3分程度のところに鎮座しています。
近藤の生家・宮川家の跡地だそうです。
郷土史の看板は出ていますが、祭神や由来書きと言ったものはありません。
祭神は近藤勇かな、と。
左手側には勇の産湯を使ったという井戸もあります。
近藤神社で手を合わせて、いざ龍源寺へお参り。

13:32 龍源寺到着

H25062203龍源寺

■大沢山龍源寺
創建:1644年
宗派:曹洞宗
本尊:釈迦牟尼仏

開基は龍源寺のある三鷹の大沢村周辺を開いた箕輪将監と伝わります。
箕輪将監がどんな人物かは、ぐぐってるだけじゃ見つからない。
開創は1644年、府中高安寺第四世・家山東伝とのこと。
江戸時代になってから出来た寺院です。
高安寺は、開基は室町幕府初代将軍足利尊氏であり、
室町幕府によって武蔵国安国寺として位置づけられていた多摩の古刹です。

境内入り口には近藤勇の彫像が建てられています。
さすが所縁の寺院。

近藤勇は天保5年10月9日(1834年11月9日)、
武蔵国多摩郡上石原村に豪農・宮川久次郎の三男として生まれました。
幼名は勝五郎。
上石原村は現在の調布市野水、龍源寺の近く、
今は近藤神社の鎮座する辺りです。
龍源寺の境内に対にある銀杏の木は、幼少期に近藤が植えたとも言われていますが、
樹齢は300年ほどというので、伝説でしょうね。
近藤勇の父・久次郎は、広い自分の屋敷内に寺子屋を開くとともに、
幕末時盛んであった武術の一派「天然理心流」の道場を持って、
勝五郎とその兄たちをはじめ、近在の子弟を集めて学問や武術を指導していたそうです。
天然理心流は近藤長裕を初代とする流派で、
江戸に道場を持つかたわら多摩地方に広く出稽古を行い、門弟の指導にあたっていました。

このときの天然理心流宗家が3代目・近藤周助です。
近藤周助は1792年、武州多摩郡小山村の名主・嶋崎休右衛門の5男として生まれ、
1811年、天然理心流剣術2代目・近藤三助の弟子となり
1830年、流派を継いで、近藤の姓を名乗りました。

さて、勝五郎は
1849年11月11日、天然理心流剣術道場・試衛館に入門します。
試衛館は江戸市谷甲良屋敷(現在の東京都新宿区市谷柳町25番地)にあり、
近藤家の住居も兼ねていたそうです。
現在、市谷柳町の試衛館跡には稲荷神社が残っています。
勝五郎は周助に実力を認められ、
周助の実家である嶋崎家へ養子に入り、嶋崎勝太と名乗ります。
のちに正式に近藤家と養子縁組し、嶋崎勇と名乗ったのちに、近藤勇を名乗りました。
詳しい年代はわかりませんが、結婚前のことのようなので
1860年より数年前のことでしょうか。
この江戸の試衛館での門弟時代に
土方歳三、沖田総司、井上源三郎、山南敬助、
食客として永倉新八、原田左之助、藤堂平助、斎藤一と出会います。
後の新撰組の隊長ですね。
この1849年から1860年の約10年の間に日本は激動の時代を迎えたわけです。
中国では先立ってイギリスとのアヘン戦争、
キリスト教勢力の反乱である太平天国の乱が勃発し、
極東アジアへも西欧列強が進出してきていました。
1853年には浦賀沖にマシュー・ペリー代将が率いる
アメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻が、日本に来航しました。
俗に言う、黒船来航です。
当時20歳だった近藤や土方、試衛館の若者達に大いに影響を与えたと想像できます。
この黒船来航と共に「幕末」が始まりました。

1860年、勇は清水徳川家家臣・松井八十五郎の長女である松井つねと結婚し、
1861年8月には府中六所宮にて、天然理心流宗家四代目襲名披露の野試合を行い、
晴れて流派一門の宗家を継ぐこととなりました。
府中六所宮は今の大国魂神社です。
1863年、清河八郎の献策を容れ、江戸幕府は14代将軍・徳川家茂の
上洛警護をする浪士組織「浪士組」へ参加し、歴史の表舞台に上がることとなります。
新撰組としての活躍は割愛しますが、
1868年4月25日、中仙道板橋宿近くの板橋刑場で斬首されました。享年35。
新撰組としての活躍はわずか5年程度しかないことに
ちょっと驚きますね。
幕末史は非常に濃厚です。
斬首された首は京都の三条河原で梟首され、その後は行方不明ですが、
近藤の遺体は東本願寺法主が受け取り埋葬したとされています。
一説に同志により奪還され、
愛知県岡崎市の法蔵寺に葬られたともいわれ、同寺に近藤の首塚があります。
また、勇の甥・近藤勇五郎が父・音五郎(勇の兄)と共に勇の遺体を引き取り、
龍源寺に埋葬した、ともいわれ、
龍源寺には勇の墓があります。

DSC_8508.jpg

本堂に手を合わせ、お墓参り。
ご朱印は頂けないんじゃないかな、と勝手に思っていたのですが
寺務所でお願いすると快諾して下さいました。

朝から何も食べずに走ったりお参りをしたりだったので
近くのコンビニでおにぎりを2つ流し込んで再出発。
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[ 2014年02月08日 01:49 ] カテゴリ:寺院 | TB(0) | CM(0)
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