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【25/07/06】梅宮大社

二条城周辺をぶらっとして、さてどこ行こう…
二条通、三条通、四条通とちょっとずつスライドしながら西に走って
嵐山辺りまで行こうかなと思って走ってみたけど
やっぱり慣れない自転車だと疲れるのと速度も出ない。
どこかのパーツの噛みあわせが悪いのか、
ずっとカラカラ音がするし。故障じゃないんだろうけど。
途中で梅宮大社を発見して参拝。

13:33 梅宮大社到着

H25070601梅宮神社

■梅宮大社
創建:天平年間(729年-749年)
祭神:
本殿 酒解神 酒解子神 大若子神 小若子神
相殿 嵯峨天皇 橘清友 橘嘉智子 仁明天皇

酒造の神、子授け・安産の神として信仰されている神社。
県犬養三千代により橘氏一門の氏神として山城国相楽郡に創建されたのに始まります。
三千代は別名・橘三千代で奈良時代前期の女官。
県犬養氏は屯倉などの守衛に当たる犬養部を統率した伴造4氏族の一つで
大和朝廷の直轄領である屯倉の守衛・管理を職としたため朝廷直轄地を意味する県を犬養に冠したとのこと。
三千代は天武天皇から元正天皇までの五朝に歴任し、
元明天皇から天武天皇の代から仕えていることを称されて杯に浮かぶ橘とともに橘宿禰の姓を賜り、
橘氏の実質上の祖となりました。
しかしこの時代に、女性で賜姓されて祖になるのは珍しい。
三千代は敏達天皇系皇親である美努王と結婚して、
橘諸兄、橘佐為、牟漏女王らを生みました。
橘諸兄が初代橘氏長者で聖武天皇を補佐をした人物で、
右大臣、左大臣、正一位と出世しましたが、
聖武上皇の病気に際して酒の席で不敬の言があったと讒言され失脚しました。
牟漏女王は藤原不比等の次男・藤原房前に嫁ぎました。
三千代は美努王とは離別した後、藤原不比等の後妻となり、
光明子を生みました。
光明子は聖武天皇と結婚した光明皇后です。
こうみると橘氏だけではなく、天皇家や藤原氏とも関係の深い神社です。

本殿の祭神である酒解神は大山祇神の別名で、初めて酒を作って神々に献じた酒造の祖神。
酒の神と言うと奈良県桜井市の大神神社が酒造りの神様としては有名ですが
梅宮大社も酒の神で有名らしい。
境内には奉納された酒樽も積まれていました。
酒解子神は木花咲耶姫命の別名で酒解神の御子神。
大山祇神と木花咲耶姫命に親子関係が有るからかな。
江戸時代後期以降の後付じゃないかと勝手に推測。
大若子神は瓊々杵尊と同一視され、酒解子神の夫で
小若子神は彦火火出見尊と言われ、酒解子神と大若子神の子供。
別名のほうは神話の通りの人間関係ですが、
自分はこの「酒解神」は太秦の神「大酒明神」だったのではないかと推測。
ちなみに秦氏が記紀に初めて登場したときの人物の名前は秦酒公で、
雄略天皇15(471)年、日本各地に分散していた秦氏の部民を
統括することを雄略天皇から許され、「禹豆麻佐」姓を賜った人物です。
秦氏の祖とも言える人物ですね。
梅宮大社は平安京遷都と共にこの地に鎮座したとされますが
この地は秦氏の本拠地である蜂岡からも程近い場所のため、
元は秦氏の土地で、その土地の一部を橘氏が譲り受けて遷座したとすると、
本殿の酒解神親子は秦氏系、大若子神親子が橘氏系として祭ったんじゃないかと想像できます。
国学が盛んになると、正体不明の神様には
記紀に載っている神と同一視していく作業が行われたのではないだろうか。
根拠はないですがw
橘氏と秦氏に明確な関係性が見つかればもっと考察が先に進みそう。

相殿は平安時代以降の橘氏と血縁関係にあった天皇を祭ります。
嵯峨天皇の皇后が橘嘉智子で、その子供が仁明天皇。
橘嘉智子の父が橘清友です、
本殿の神と対を成すような関係ですね。

酒解神-大山祇神-橘清友
酒解子神-木花咲耶姫命-橘嘉智子
大若子神-瓊々杵尊-嵯峨天皇
小若子神-彦火火出見尊-仁明天皇

と系図をトレースできるようになっています。
意図的にこうしてるんだとは思いますが…
橘嘉智子は嵯峨天皇の皇后で、別名・檀林皇后、梅宮大社をこの地へ鎮座した人物であり
橘氏出身としては最初で最後の皇后でもあります。
仏教に篤く帰依し、嵯峨野に日本最初の禅院・檀林寺を創建したことから
檀林皇后と呼ばれたとのことです。
檀林寺はその後、廃寺となり、その地には天竜寺が建てられました。
嵯峨天皇の説明は割愛しますが、
死刑を廃止した天皇ですね。
別に人権がうんたら、慈悲深い云々というわけではなく
死に依る穢れを恐れたからではないかと思います。
逮捕・捕縛してからの死刑はなくなりましたが
逮捕途中で殺してしまうケースは黙認されていたので
アメリカの死刑を廃止している州と似たような感じですね。
ともあれ、嵯峨天皇の時代から表面上は安定した「平安」な時代が始まったともいえますね。

ちなみに、橘嘉智子が梅宮大社の砂を産屋に敷きつめて仁明天皇を産んだことから、
子授け・安産の神としても信仰されるようになりました。

別当寺は橘氏の氏寺である井手寺で今は廃寺になっています。
621年、山背大兄王の本願により建立され、
731年、橘諸兄により上井手大地南端に、母・橘三千代の一周忌に因み
橘氏の氏寺として再建されたといわれています。
場所は京都府綴喜郡井手町にあったそうなので京都に遷座する前は
梅宮大社もここ周辺にあったのではないだろうか。
その地のすぐ近くには諸兄の墓もあります。

DSC_8718.jpg

結局お昼ごはんを食べていないけど神社へお参り。
境内を散策し拝殿でお参り。
ご朱印をお願いすると、どうやら神事をしていたようで
少し時間がかかるとのこと。
社務所近くをうろうろしていると神社の飼い猫だろうか、
数匹がうろうろしていたので可愛がる。
呼び寄せてちゃんと来る猫は良い猫だ。
逃げる猫は残念だ。
自分になついていたというよりは、
地面に置いた自分のリュックになついていた…
シャッターチャンスが上手く作れず、無念。
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[ 2014年02月15日 14:49 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)
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