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【25/10/13】意富比神社

秋はサイクリングに最適な季節です。涼しいし。
というわけでしばらくご無沙汰だったロングライド。
ロングライドっていうとドロップハンドルにサイクルジャージっぽいので
個人的には「中距離ポタリング」といった気分ですが。
自分の自転車時の服装は「vol.5 甲州街道を行く」の真島さんのような格好です。
未だにクリートすら付けていませんし…

この日は天気が良かったので100キロを目標に。
うちから片道50キロで程よい神社…と考えると
横浜までは大体50キロ、同心円上にある場所だと川越、立川、野田、千葉辺りかな、
ということで千葉の千葉神社あたりまで走ることにします。

隅田川、荒川、新中川、江戸川と川を幾つか越えて千葉入り。
千葉街道に沿って走ります。
途中、本八幡で葛飾八幡宮がありますが、以前お参りしたので今回は見送りです。

10:13 意富比神社到着。

おかしいなぁ、2時間くらい掛かっちゃった…

H25101301船橋大神宮

■意富比神社
創建:景行天皇40年(西暦110年)
祭神:
主祭 天照坐皇大御神
配祀 万幡豊秋津姫命・天手力雄命

通称「船橋大神宮」、こちらのほうが通じやすいですね。
駅があるくらいだし。
「意富比(おおひ)」の由来には諸説あるようですが
古代の有力豪族である意富氏から来てるのかな。
この一体を治めた千葉氏は多氏の部曲の多部の後裔であるともされてるし。
戦国時代まではこの地域で勢力を保っていた千葉氏系の豪族富氏が宮司をつとめており、
現在でも千葉姓に改名し、同族が宮司をつとめているそうです。
千葉氏は桓武平氏良文流とされていますが、
古代豪族の多氏の部曲の多部、また知々夫国造の出自とも言われており
詳しいことははっきりとしないようですね…
桓武天皇の孫である平高望が上総介に任じられたことから
上総国に平氏が根付くようになり、
坂東平氏として関東に一大勢力を作るようになるわけだけど、
それ以前に各々の地を治めていた諸豪族を乗っ取っていったと考えると
すごい繁殖力(?)だなぁ…
地方の諸豪族も朝廷と関係性が高い平氏と結びつくことで
その土地での地位を高めてもいったのだろうけど。

また、元々この地には地方の太陽神である「意富比神(大日神)」が祀られ、
特に東京湾の漁民の信仰を集めていたとのこと。
その土地に元より祭られていた神を「太陽神」としていたということは
古くは上総に強大な権力者がいた証拠ですね。
漁民からの信仰が篤かったことからも、
意富比神社の辺りまで海が来ていたとも考えられます。

万幡豊秋津姫命は別名・栲幡千千姫命で機織の神。
上総国の由来も、よき麻の生きたる土地というところより称したとされる「総(ふさ)の国」
から来ているので古代より機織と関係が深い土地、
隣接する海老川の居坐機を神格化したのかな。
海老川は古くは太白川(おおいがわ)と呼ばれていたそうです。
ここにも「オオイ」が。
ちなみに「総の国」を上下に分けて「下総」「上総」になりました。

意富比神社には中世の文書が多数保持されていましたが、
明治維新時における船橋の戦いで社殿と共に焼失してしまったそうです。
非常にもったいない。
千葉氏の由来に関する文献等も残っていたかもしれない。

DSC_1735.jpg

やけに境内が混んでいると思ったら七五三シーズンでした…
うっかりしてたなぁ
あまり境内をうろうろしたり写真を撮っていると
不審者扱いされかねないので参拝してご朱印を頂いて
早々に撤退。

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[ 2014年03月01日 11:24 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)
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