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【25/2/9】頼岳寺

茅野駅に戻って駅前でタクシーの運転手の運転手オススメの蕎麦屋で
お蕎麦を頂いてから上諏訪駅まで散歩。
20号沿いをまっすぐ歩けば着くのだけれど
途中で千鹿頭神社があったのでお参り。
ご朱印はなし、集落の祠といった感じ。
千鹿頭神社から道なりに500mくらい歩けば頼岳寺。
ここはノーチェックだったけれど折角なのでお参り。

H25020903頼岳寺

■少林山頼岳寺
創建:1631年
宗派:曹洞宗
本尊:釈迦如来

江戸時代になっての開祖なので諏訪の中では新しい寺院。
「鵞湖禅林」と呼ばれ、諏訪湖の形がガチョウに似ているというので
諏訪湖の別名「鵞湖」から。
開基は高島(諏訪)藩初代藩主の諏訪頼水。
諏訪頼水は諏訪大社上社大祝の直系諏訪氏。
江戸時代に入ると上野国総社藩に移封され家督を譲られて藩主に。
関が原の戦いでの功績によって高島藩に復帰。
1631年に群馬県雙林寺の大通関徹を招き、諏訪家の菩提所として開創したのが始まりで、
頼水が総社藩主時代に縁があったのかな、きっと。。

頼岳寺は藩の菩提寺になったわけですが、
元々諏訪氏の菩提寺は東にある永明寺。
逸話として、永明寺に逃げ込んだ罪人を頼水が引き渡すよう要求したところ
特権を盾に僧侶が罪人の引渡しを拒んだため、
寺院を焼き払い、罪人の首を撥ね、
匿った僧侶も処刑し、その後に新しい菩提寺として頼岳寺を建立したとか。
1630年頃というと、既に寺院諸法度(の曹洞宗法度)も制定されて、
寺院の特権も戦国時代に比べれば大幅にカットされていたのかなと思うけど、
武士が武断政治から文治政治へシフトできていなかったように
僧侶もまだ戦国時代の名残があったのかな。

寺紋は諏訪大社上社と同じ「四本足の梶の葉」。
下社は「五本足」と見分けがつくようになってます。
ちなみに頼水は6歳で大祝になってますが、
いつの頃からか大名家と大祝家に諏訪氏は分かれていき(3代の頃かな
明治時代には諏訪大名家は華族として残りますが
諏訪大祝家(諏方家)は徐々に屋敷や土地を縮小され、
平成になって完全に途絶えてしまったそうです。
神代から続く現人神の家系が途絶えてしまうことはとても残念。
千代田の名家には永劫残って頂きたいものです。

DSC_3664.jpg

階段を上ると「鵞湖禅林」が掲げられた山門があり、くぐると境内へ。
特にご朱印をいただける情報も事前になかったので
社務所で伺ったところ頂けるとこと。ありがたやありがたや。
ご朱印を頂き、境内のお手洗いを拝借。
屋外であるにも係わらず、お手洗い内に暖房を付けていて、
勿論凍結対策もあるのだろうけれども、
暖かいお手洗いを使えるなんて、なんと素晴らしいと感動。
寺社巡りしているとオススメの神社やお寺はどこかと聞かれることもありますが、
自分は常に「トイレが綺麗なところ」と答えてますw
綺麗なトイレを維持できるだけの規模であったり、
参拝客への配慮が行き届いているということ。
頼水寺はそういう意味で自分の中では高得点ですw
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[ 2013年02月24日 17:45 ] カテゴリ:寺院 | TB(0) | CM(0)
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