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【25/2/9】八剱神社

ブログの更新が停滞気味なのは忙しいからではなく
飲み会が多いからです、すいません。

さて、足長神社を後にして、甲州街道沿いを1キロくらい歩く。
道なりには道祖神が多い。
夫婦の石像なので諏訪明神を表してるのかなとも。
道祖神とともに「秋葉山」の石碑があるのもおもしろい。
火伏せ、火事避けの神と道祖神がセット、なんでだろう。

途中「真澄」でおなじみ宮坂醸造さんがあった。
さすが長野を代表する酒造だけあって立派なお店。
試飲もできるみたいだったけど、どうせ夜に飲むからいいや、と
中を見て終わり。

宮坂醸造を過ぎれば八剱神社はすぐそこ。

H25020904八剣神社

■八剱神社
創建:不明
祭神:八千矛神・日本武尊・誉田別尊

お参りする前に隣の八劔山甲立寺にお参り。
読んで字の如く、八劔神社の別当。
面白いことに寺院なのに御柱が立っています。
実に諏訪らしい。
きっと神仏習合時代は他の神宮寺や別当でも大社同様に
御柱祭に参加して、祭祀を取り仕切っていたんだろうなぁ。
境内には「鏝塚」もありました。
はて、なんと読むのやらと思っていたら
「コテ塚」と読むんだそうで、左官屋さんが使うコテを供養した塚。
本尊は厄除十一面観音(別名:高嶋観音)。
寺内には金剛界大日如来などの文化財も多く残り、宗派は勿論真言宗。
また本尊と並び、愛染堂の愛染明王座像は立派で篤い信仰があったそうな。
御体は朱く三目六臂で五鈷杵・弓・蓮・その他の持物も完備し、
室町時代と推定される好作とのこと、実物見てみたいw
ご朱印は頂ける様な感じではなかったなぁ、お堂には誰もおられなかった。

と、これでは別当紹介のようなので神社のほうにお参り。
八剱神社は甲立寺と共に、今の高島城の場所に鎮座していたが
日根野高吉による築城により現在の地に移されました。

祭神の八千矛神は大国主命のこと、建御名方神のお父さん。
大国主命は名前が沢山あるのがなぜなのか、
未だにこれといった回答は出ていないのかな。
多く居た氏族の氏神や地母神を大和朝廷が征服後に
全て「大国主命」として集約してしまったからじゃないかと思っている。
ただ、八剱神社の名前は別当の八剱山から来ているものであり、
その八剱=八矛で明治時代に八千矛神を当てたんじゃないかと思う。
そもそも江戸時代には八剱大明神と呼ばれていたそうだし。

八剱神社というと御神渡神事をする神社として有名。
御神渡とは諏訪大社上社から下社の方向へ向かうもので
上社の建御名方神が下社の八坂刀売命に会いに行った足跡といわれます。
なんともロマンチックな話ですw
この伝説がいつごろから定着したのかは不明ですが
江戸時代にはすでに八剱神社の記録に残っているというのだから
安土桃山時代以前には定着していたのでしょう。
男が女の元に通う婚姻の形を妻問婚というのだけど、
御神渡の伝説は古代の妻問婚の名残なのだろうか。
平安時代あたりまでは日本では妻問婚が主流だったけど
武家社会の成立と共に失われていった習慣なので
伝説として残っているということは、諏訪ではこのころまでは
妻問婚だったんだろうか。
朝廷における後宮や江戸時代で言えば大奥なんかもその名残とも言えるから
さほど珍しいものでもなかったのかな。
妻問婚は母系制が色濃い農耕社会では最近まで残っていたというし
諏訪湖周辺であってもおかしくも無いんだけど
御神渡り神事を妻問婚ないし古代の婚礼の視点から研究してるひとは
おらんもんか、興味深い。
まぁ大国主神にも妻問い神話があるくらいだから
これもまたひとつのテンプレートのひとつなのかな。。
ただ類似と同一はまた別物なので少し掘り下げてみよう。

この御神渡り神事を取り仕切った八剱神社は元は今の高島城付近にあったとすると
昔は高島城付近まで湖があったということなんだろうなぁ。
高島城は別名「諏訪の浮城」と呼ばれて、湖に突き出して築城されたみたいだし。
今は江戸時代の干拓事業の影響で湖じゃないけど。
つまり八剱神社も湖に隣接した社だったんだろうなぁ。
近年、御神渡りは温暖化の影響からか、減っているそうだけど
去年も今年も無事出来たとのこと。
聞いた話では、すぐに溶けてしまうので早朝にさっと神事を済ませてしまうんだとかw

DSC_3829.jpg

境内は鳥居をくぐると拝殿のような神楽殿を超えて社殿へ。
神楽殿の横には社務所兼公会堂があるが閉まっていた。
ご朱印はここではなく、足長神社同様、手長神社で頂けます。

社殿には四隅に御柱、また摂社にも御柱。
やはり八千矛神というよりは諏訪系の八剱大明神を祀るほうがしっくりくるなぁ。

ちなみに甲立寺は本堂が南西に向いているのに対し、
八剱神社の社殿は北東を向いている。
移転や再建、区画整理でこうなったんですといわれると虚しいが
何か意味があるのだろうか。
ちょっと気になる。
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[ 2013年03月08日 21:30 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)
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