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【25/4/27】平塚八幡宮

遊行寺を出て茅ヶ崎へ。
折角なので少し海を見ながら走る。
俺の家も近い~♪的なかんじで。
このあたりになると富士山がしっかり見れて
走っていても気持ちがいい。

12:33 平塚八幡宮到着。

家から70キロくらい。
もう折り返せないのでゴールの京都を目指す。
昼を過ぎたのでそろそろ宿も考えないといけない。
予定では三島で一泊したかったけど
これから夕方に箱根を越えるのは危険かなと思ったり、
箱根神社をお参りできなくなりそうなので小田原に宿を探す。
小田原城近くのビジネスホテルに電話して無事宿をget。

H25042702平塚八幡宮

■平塚八幡宮
創建:380年
祭神:応神天皇、神功皇后、武内宿禰命

祭神は八幡宮なので応神天皇。
明治期の神仏分離令の影響で全ての神社の祭神を見直したときに
応神天皇と誉田別尊で同一だけど呼び名が統一されたなったのはなんでなんだろう。
まぁそんなの多そうだけど。

社伝によると仁徳天皇68年(380年)、この地方を襲った大地震に際し、
仁徳天皇の勅願により応神天皇を祭神として創建されたものである、とのこと。
関東でも屈指の古さを誇る神社です。
古くは鶴峯山八幡宮と呼ばれていたので、最後に「寺」が付くのかな。
別当は等覚院(鶴嶺山成事智寺、真言宗)、今は二ノ宮のあたりに移築されたのかな…
平塚八幡宮は毎年5月5日に大磯町国府本郷の神揃山で行われる国府祭に参加する相模五社の1社でもあり
一宮の寒川神社(寒川町)、二宮の川勾神社(二宮町)、三宮の比々多神社(伊勢原市)、
四宮の前鳥神社(平塚市)、五宮の平塚八幡宮(平塚市)、総社の六所神社(大磯町)の御輿が集まる、
相模国五宮ではあるが、一国一社の八幡宮、鎮地大神とも称えられています。
五社の位置を考えてもレイライン的なものも浮かばないなー。。
神揃山は大磯町国府本郷にある山(というけどぐぐっても山名は出ず)で
近くには守公神社が鎮座し、祭神は足摩乳命、手摩乳命。
大山阿夫利神社の祭神の大山津見命の子供なので相模における大山信仰の名残かな。
大山と神揃山を結んだ線上には弘法山があり、
大山寺も神揃山の麓の眞勝寺は真言宗のため、真言宗の支配下にあったのかなぁ…

また平塚と大磯に跨る高麗山には明治期までは高麗寺があり、
今は高来神社といい、祭神は神皇産霊尊、天津彦穂邇々伎尊、応神天皇、神功皇后 で、
古くは高麗権現を祭っている。
高麗権現社の歴史は古く、三韓征伐に勝利した際に、重臣の武内宿禰が高麗大臣和光(高麗大神和光)を
奉ったのが高麗権現社の起源とされ、
その後に717年、僧の行基が漁民により海中から引き揚げられた千手観音を高麗権現の本地仏として祭り、
高麗寺の歴史が始まります。
ちなみに埼玉県日高市に鎮座する高麗神社の祭神も高麗若光で
668年に唐・新羅に滅ぼされ亡命して日本に居住していた高句麗からの帰化人を朝廷はこの地に移住させたため
高麗神社周辺は武蔵国高麗郡と呼ばれました。
三韓征伐は紀元200年頃の神話であることに対し、
高麗神社由来の高句麗滅亡とは年代の開きがあるので
同一人物であるかどうかはわかりませんね。
三韓征伐の神話が白村江の戦いや麗唐戦争といった600年代後期の対外戦争を元に
720年に編纂された日本書紀に影響を与えたと考えると面白いかな。
そうなると神功皇后は女帝である皇極天皇がモデルになるか…

高来神社の高麗大神和光は神皇産霊尊として今は祭られていますが
高麗大神和光は読んで字の如く高麗の神であり、
それが造化の三神の一とされる神皇産霊尊と同一視されているわけで、
この地において、いかに大きな神であったか、ということが想像できます。
平塚大磯の地は、古代は大陸からの渡来人が移り住んだ地であったことが伺えます。
一宮の寒川神社を祭ったのも高句麗系渡来人であったといわれているし
関東は渡来人の痕跡を残す土地も多いですね。
ひとつは当時の朝廷にはすでに中国に倣った「日本式中華思想」が生まれていたため、
畿内より外の民族は皆蝦夷という蔑視する意向により、
文化を伝えた大陸からの渡来人も一方では夷狄である、とされたのではないか。
また、北東は都の鬼門であり、また東国には未だに大和の勢力範囲ではなく
蝦夷の地であったために、「鬼門封じ」として東北の蝦夷には渡来の夷狄を当てたのではないか、
そしてそうした東国鎮護を任された一族が時代が上るにつれて
東国武士として発展して行き、彼らが時代を支配する武家政権が誕生すると考えると
なかなか面白いです。
平塚八幡宮も724年頃にに宇佐神宮から勧請を受け八幡宮となると
鶴岡八幡宮と並んで東国武士から篤い信仰を受けるようになりました。

DSC_4870.jpg

境内は広く、社殿に向かう途中にアヒルがいて愛でる。
雰囲気がいい神社なので、もっとゆっくり見たかったですが
自転車旅では過剰な観光は出来ません。
目指すは小田原。
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[ 2013年08月06日 22:35 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)
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