ご朱印びよりっ

ご朱印集めたり、イラストを書いたりと。
ご朱印びよりっ TOP  >  スポンサー広告 >  神社 >  【25/5/1】北野天満宮

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --年--月--日 --:-- ] カテゴリ:スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

【25/5/1】北野天満宮

6時半にしっかり目覚めてチェックアウト準備。
一応ホテルに連泊交渉したところ
この日は埋まっているというので残念。
別のホテルを探さないと…駐輪場付きの。

さて、どうしたものか、
いざ1日京都を観光するにも余り考えていないので
お参りしていないところをぐるっと回ろう。
まずは現存する京都最古の木造建築である国宝・千本釈迦堂にお参り、
と8時に着いたらまだ開いていなかったので
近くの北野天満宮へ行くことにしよう。

H25050101北野天満宮

■北野天満宮
創建:947年
祭神:菅原道真

祭神は菅原道真。
903年、菅原道真が無実の罪で配流された大宰府で没した後、
都では落雷などの災害が相次いだため、
これが道真の祟りだとする噂が広まり、
没後20年目、朝廷は道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位を贈る。
942年、右京七条に住む多治比文子という少女に託宣があり、
5年後にも近江国比良宮の神官良種の7歳の子・太郎丸に同様の託宣があったことから、
太郎丸と文子は北野朝日寺の僧・最鎮と相談して祠を設けたのが始まり。
947年6月9日、現在地の北野の地に朝廷によって道真を祀る社殿が造営されました。
比良宮は今は、滋賀県大津市比良の樹下神社と共に祭られています。
文子は東本願寺裏の文子天満宮に祭られています。
多治比文子は何者かということに関しては、伝承では道真の乳母であったとされていますが、
年齢的に辻褄があわない。
多治比氏は宣化天皇の三世孫多治比古王を祖とする氏族で
子・多治比嶋は持統天皇時代には右大臣となった人物。
785年、子孫の多治比長野の娘・真宗が桓武天皇夫人となり、
その子が葛原親王であり、桓武平氏の祖となります。
しかしすでに多治比氏は757年の橘奈良麻呂の乱や
785年藤原種継暗殺事件に関与したとみなされ、
すでに朝廷での影響力は失われています。
藤原種継暗殺事件で処刑されたタイミングで
桓武天皇の元へ入内していることが意味深です。
藤原種継暗殺事件では多治比氏のほか、首謀者として
大友氏や紀氏など、多くの有力貴族が処罰され、
桓武天皇の弟の早良親王までもが流刑にされました。
早良親王は無実を訴えるため絶食して淡路国に配流の途中で憤死します。
この時代の貴族はよく「憤死」しています。
みんなデリケートな性格の持ち主ですね。
さて、この藤原種継暗殺事件によって
藤原種継が推進していた長岡京への遷都も推進力を失ったことと
早良親王の祟りを思わせる災害や疫病の流行があり
794年、桓武天皇は今の京都へ都を移して平安京を築くことになります。
早良親王の祟りは収まらず、
800年、崇道天皇と追称され、今は御霊神社に祭られています。

ここまでを踏まえて、
北野天満宮造営までの流れを考えると
・左遷先で道真死亡
・京で落雷など災害、有力者の急死多発
・朝廷、怨霊ではないかと疑う
・没落した多治比氏の末裔や大伴氏と関わりが深い近江の神官が道真鎮魂を訴える
怨霊が祟るのは、死者の怨念が何かしら超自然的な現象を操るわけではなく。
祟られる側に疚しい気持ちがあり、それと不幸が重なると「祟り」になるわけです。
道真左遷も種継暗殺事件も首謀者が誰かを貶めた結果、
怨霊が出てきているのですが、
さて、その怨霊の仕業であるから彼らを祭るべし、と訴え出たのが
そうした謀略で没落した氏族達であるという点もまた面白い。
ちなみに道真の母は伴氏(旧・大伴氏)の娘なので大伴氏と接点もちゃんとあります。
菅原氏は天穂日命の子孫で、野見宿禰を先祖とする土師氏の子孫で
750年、菅原古人は「菅原姓」と賜った氏族です。
土師氏は殉死者の代用品である埴輪を発明したことから与えられた名で
技術者集団である性質上、やはり渡来人だったと考えるのが妥当かな。
大阪府藤井寺市の道明寺一帯が土師氏の本拠地であり、
道明寺が氏寺、隣接して道明寺天満宮があり道真を祭ります。
野見宿祢については、
大和の当麻邑に力自慢の当麻蹶速という人物がおり、
出雲に住む相撲を取ったという逸話が残ります。
野見宿祢は出雲出身であるということは、道真の先祖は出雲系かと思いきや、
おそらくここでいう「出雲」は桜井市初瀬にある「出雲」であると考えられます。
桜井市初瀬の長谷寺には與喜天満神社という
948年に天満宮となった神社です。
(創建自体は北野天満宮よりも古いとも)
土師氏の根拠地であったとも言われる地なので天満宮を祭ります。
この長谷寺は十一面観音の立派な像がありますが
菅原道真の本地仏は十一面観音。
長谷寺の本尊に倣って道真の本地仏にされたと
勝手に思っています。
あまりこれを指摘する文献は見ていないので。
しかも十一面観音の脇には春日明神(難陀龍王)と天照大神(雨宝童子)を配し、
藤原氏の氏神と天皇家の皇祖神の真ん中に
菅原道真の本地仏である十一面観音があるという、
この地の人々が、十一面観音を祭ることに偽装して
自分たちと縁のある道真を1000年手厚く奉じたんだろうなぁと空想。

DSC_6514.jpg

北野天満宮も参拝は4回目くらいかな。
ご朱印は2度目。
大きな神社ですがオリジナルのご朱印帳はないので
ご朱印帳忘れちゃったけど買えばいいか、と思ってここに寄っても
ご朱印帳はないのでご注意。
まぁ過去にそれをやったわけですが。
境内は朝早い時間だったので人はまばら。
学問の神様なので修学旅行生も多く参拝に来ますね。
スポンサーサイト
[ 2013年10月14日 13:03 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。