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【25/5/1】建勲神社

さて、千本閻魔堂からどこに行こうか、とグーグルマップをチェック。
よし、船岡山へ行こう、と自転車を軽く走らせる。
船岡山は平安京の中軸線である朱雀大路の真北に位置します。
四神相応思想では都を築くには
東の青龍が河川、南の朱雀が汙池、西の白虎が大道、北の玄武が丘陵があると良いとされ、
平安京遷都の際には、この条件に基づいて山城の地を選んだともいわれ、
東に鴨川、南に巨椋池、西に山陰道、北の船岡山が該当します。
ただし、この「丘陵」は高い山を意味するもので、
丹波高地が該当するのではないかとも言われてますが、
その辺に関しては「いくつ該当する地があってもいいじゃない?」と言った具合で
あまり激しい議論は展開されていないみたいですね。
まぁ船岡山の麓には玄武神社があるし、良いと思う。。

そんな船岡山の山頂には建勲神社が鎮座しています。

H25050104建勲神社

■建勲神社
創建:1870年
祭神:織田信長公

建勲と書いて「たけいさお」と読みます。
ずっと「ケンクン」と呼んでましたw
織田信長を主祭神とし、子の織田信忠を配祀しています。
1869年11月8日、戦国時代を天下統一、朝儀復興などを進めた織田信長を賛えるため、
健織田社の創建が明治天皇により決定されました。
織田信長が朝儀復興とは、なんとなく見当違いな感じがしますが、
徳川政権が終わったことで、その前の織豊政権を際立たせて、
徳川家が謀反者の作った覇道であり、
明治天皇の世になって王道政治になったことを強調したかったのかな。
1870年10月17日、織田信長の子孫で天童藩知事・織田信敏の東京の邸内と
織田家旧領地の山形県天童市に建勲社が造営され、
1880年9月、秀吉の手によって信長の廟所と定められた船岡山に
社殿が竣工して東京より遷座したのが始まりです。

ちなみに、名刀・義元左文字は建勲神社に奉納されています。
戦国時代、三好宗三から武田信玄の父・武田信虎に贈られた刀で、
信虎が今川氏と和睦を示すものとして娘・定恵院を嫁がせる際に一緒に持たせ、
その婿・今川義元が自分の愛刀として大切にしたことから「義元左文字」と呼ばれます。
桶狭間の戦いで信長が義元を破ると、信長の手に渡り愛用され、
本能寺の変後は秀吉が所有し、死後は秀頼に受け継がれ、
さらに、秀頼から徳川家康の手に渡り、これ以降、徳川将軍家に代々受け継がれていきました。
このことからこの刀は常に天下を取るもの、狙う者の手にある運命にあると言われました。
明治になり、徳川家から奉納されました。
一度見てみたいなぁ。
京都国立博物館に委託されているけど、常時展示じゃないんだよなぁ。
京都に行くと博物館よりも寺社巡りを優先してしまうのだけど
文化財見るなら博物館だよなぁ…

DSC_6619.jpg

自転車を参道の入り口においてお参りへ。
船岡山というくらいなのでもちろん山。
結構階段が多く、やっぱり足に来ました><
まぁ、平常時なら問題ないのですが、4日走ったあとの足にはきつい。。
ひいひい言いながら山頂へ。
京都の町並みや比叡山を一望できるいいスポットです、景色がいい。

境内は綺麗に管理されていて、気持ちがいいです。
お参りしてご朱印をお願い。
結構迫力のある字でした。
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[ 2013年10月26日 12:34 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)
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