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【25/5/1】聖護院

去年のお参りが年を越してしまった…
さらに記憶が薄れつつある。。

玄武神社のお参りを済ませ、さすがに大腹が空いている。
結局朝から何も食べずに市内を自転車でぶらぶらですからね。
京都市内を観光するには自転車が一番だと思っていますが、
問題がひとつ。路駐に厳しいところです。
しかもスタンドを取り外してあるのでそこらへんにホイと置けませんし。
まぁ、クロスだのロードは地球ロックしないと怖いですからしませんが。。

と、お昼を食べる場所を探している間に
今出川通で鴨川を越えてしまった。
廬山寺探していたんだけどなぁ…
そうこううろうろしてたら京大薬科の辺りに来てしまい
学生が増えてきた。
きゃっきゃうふふしている若人を見ていると心が荒む年頃なので
彼らから逃げるように走り去ると急に通りがニッキ臭く。
聖護院八つ橋と本家西尾。
なるほど、八つ橋の有名店が向かい合っている。
ということは、その先にあるのは聖護院か、ということでお参り。

H25050105聖護院

■聖護院門跡
創建:1090年
宗派:本山修験宗
本尊:不動明王

本山修験宗総本山の寺院で古くは天台寺門宗に属した寺院。
開基は園城寺の僧・増誉で、1090年、白河上皇の熊野詣の案内役を務めた人物。
この功により増誉は初代の熊野三山検校に任じられ、役行者が創建したとされる常光寺を下賜されたことに始まる。
日本は当時、末法思想の影響、貴族による摂関政治の衰退、武士の台頭、既存仏教勢力の退廃などによって
熊野詣が流行していました。
末法思想は、釈迦の立教以来千年の時代を正法、次の千年を像法、
その後一万年を末法の三時に分けて、末法においては仏法が正しく行われなくなる、とする考え方で、
終末論的なものとは関係がないのですが、
そういった社会情勢も相俟って、貴族や民衆に不安を与えました。
そんな末法の世界では阿弥陀仏の本願力によってのみ救済されるとし、阿弥陀仏信仰が流行しました。
その結果、称名念仏、南無阿弥陀仏を唱えること、を重視する鎌倉新仏教の
浄土宗や浄土真宗、時宗が民衆の間に広まることとなるわけです。

さて、そんな末法思想は貴族や有力者にも影響し、
極楽浄土を現実の世界に作り上げ、平等院のような大寺院を造営しました。
それとともに流行したのが「熊野詣」です。
熊野三山で祭る熊野権現は阿弥陀仏の垂迹である、とされ
熊野へお参りすることで、阿弥陀仏の徳が得られ、極楽浄土へ行けると考えたわけです。
ちなみに、熊野本宮大社の主祭神の家都御子神は阿弥陀如来、新宮の熊野速玉大社の熊野速玉男神は薬師如来、
熊野那智大社の熊野牟須美神は千手観音とされ、
三山はそれぞれ、本宮は西方極楽浄土、新宮は東方浄瑠璃浄土、
那智は南方補陀落浄土の地であると考えられ、平安時代以降には熊野全体が浄土の地であるとみなされるようになりました。
ただし、熊野への道には紀路と伊勢路の二つがありましたが、
いずれも難路であったため参詣の道者を案内する先達が活躍したわけです。
院政期の白河から後鳥羽上皇までの約100年間には97回もの上皇法皇の御幸があり、
後白河天皇においては、住宅の近くに新熊野神社を勧請し、
そこの鎮守寺として創建されたのが三十三間堂です。

そのような時代背景で創建されたのが聖護院であったため
熊野との関係が強く、
1236年、熊野に屯倉を所有していた後白河上皇の皇子の静恵法親王が入寺したことにより、
熊野との結びつきを一層深めていき、
熊野三山検校の地位は園城寺が引き継いでいましたが、室町時代中期からは聖護院が務めるようになりました。
また、静恵法親王以後、代々法親王が入寺する宮門跡寺院としての地位を固め、天台宗内で重要な地位を占め、
それと共に、熊野の修験組織をまとめ上げ、
熊野三山検校として修験道の重要寺院としての位置づけを確固たるものとなりました。
その後、応仁の乱で焼失し、現在の場所に落ち着いたのは1676年のことです。

1868年(明治元年)の神仏分離令に続き、1872年には修験道廃止令が発布されたため、
天台寺門宗に所属することになりましたが、
1946年、修験宗を設立、本山修験宗の設立は1957年、して天台寺門宗から独立し
今に至ります。

江戸時代に修験道が本山派(天台宗)と当山派(真言宗)に別れたため、
吉野と熊野を結ぶ大峯山を縦走する大峯奥駈道に行く場合、
熊野本宮から吉野に向かう順峯、逆に吉野から熊野に向かう逆峯といい、
順峯は天台宗系の聖護院(本山派)が、逆峯は真言宗系の醍醐寺三宝院(当山派)がそれぞれ主導しています。
順峯で行く場合は、始まりと終わりに聖護院へお参りするルールがあるそうです。
大峯奥駈道は行きたいけれど、自分は吉野からの逆峯を予定しているので
醍醐寺三宝院に行かないといけませんなぁ…
まぁ大峯奥駈道に行く予定が立ってませんがw

あと、聖護院といえば、八つ橋とかぶが有名ですね。

DSC_6734.jpg

というわけで聖護院へお参り。
参拝客は自分だけ。
書院の中には入らなかったので、てか入れたのかな…
客間のようなところでお参り。
ご朱印は不動明王の梵字「カーン」。
インパクトがありますね。
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[ 2014年01月04日 18:22 ] カテゴリ:寺院 | TB(0) | CM(0)
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