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【25/5/1】白峯神宮

雨から逃げるように市内へ。
ついでに昼ごはんも、と思い今出川通を走る。
雨雲が追ってきている気すらする、陽は出ているのに。
京都御所と同志社大学を抜けて少し行くと神社発見。
白峯神宮でした。
そういえばまだお参りしたことがないのでお参りしよう。

H25050106白峯神宮

■白峯神宮
創建:1868年
祭神:崇徳天皇
   淳仁天皇

白峯神宮の社地は蹴鞠の宗家であった公家・飛鳥井家の屋敷の跡地のため、
摂社の地主社に祀られる精大明神は蹴鞠の守護神であり、
現在ではサッカーのほか、球技全般およびスポーツの守護神とされ、
サッカーをはじめとするスポーツ関係者の参詣も多い神社です。
境内にはキャプテン翼の高橋陽一先生直筆のイラストが描かれた
サッカーボールが奉納されています。

祭神は崇徳天皇と淳仁天皇。
崇徳上皇は保元の乱に敗れて讃岐に流され、その地で崩御した人物。
配流された讃岐の地で五部大乗経の写経に専念し、
(自らの血で写経したとの逸話もありますが)
戦死者の供養と反省の証にと、完成した五つの写本を京の寺に収めてほしいと朝廷に差し出したところ、
後白河法皇は「呪詛が込められているのではないか」と疑ってこれを拒否し、写本を送り返されてしまい、
激怒した崇徳天皇は写本に
「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」「この経を魔道に回向す」と血で書き込み
1164年8月26日、46歳で崩御したといわれています。
崩御後、慰霊のため讃岐にある陵墓近くに頓証寺が建立され、これが現在の白峯寺になったとされます。
白峯寺自体は円珍が860年に白峯大権現の神託を受けて千手観世音菩薩を霊木に刻みこの地に安置した寺院。
「白峯」の言葉は崇徳天皇が崩御する以前から讃岐にあったようですね。

その後の1176年、後白河や忠通に近い建春門院・高松院・六条院・九条院が相次いで死去、
翌年の1177年には、延暦寺の強訴、安元の大火、鹿ケ谷の陰謀が立て続けに起こり、
社会の秩序が乱れ、社会不安に陥ると
「これは崇徳天皇の怨霊によるものである」という噂が流布するようになり、
1184年4月15日には保元の乱の古戦場である春日河原に「崇徳院廟」を設置、
8月3日には「讃岐院」の院号が「崇徳院」に改められます。
崇徳天皇の鎮魂の甲斐なく、貴族による政治は終わり、
身分が低いとされた武士による世になってしまったのは
偶然なのか、大魔縁の呪詛によるものなのかはわかりませんが。

平安時代が終わり、鎌倉時代に入ると武士の時代になり、
「怨霊」という概念も徐々に薄れていくわけです。
そりゃあ武士は貴族と違って、時として人を殺めることも仕事のひとつですから
いちいち人を殺めて怨霊にビビッていては仕事になりません。
それでも鎌倉時代では既に、崇徳天皇が最上位(?)の怨霊であるという認識があったようで
「太平記」でも大怨霊として描かれています。
天皇家を南北に分断することとなった大事件である南北朝の動乱すらも
崇徳天皇の怨霊の仕業だ、と考えていたようです。

時代が進んだ江戸時代末期になると、
1864年の700年式年祭の年前後には黒船来航からの
内憂外患、文治元年1864だけでも禁門の変、長州征討、四国艦隊下関砲撃事件が発生、のため、
孝明天皇は崇徳院京都御遷還幸を企図しますが天然痘による急死、
明治天皇は即位前日に白峯御陵に勅使を派遣し、白峯宮の鎮座祭を行いました。
1868年8月、明治天皇は孝明天皇の意思を継いで現在の地に社殿を造営し、
讃岐の白峯陵の影堂の神像を移して神体とし白峯宮を創建したのが白峯神社の由来です。
社殿の造営は戊辰戦争の最中で行われ、
崇徳天皇が幕府軍の味方をしないように建立したとも言われます。

共に祭られた淳仁天皇は奈良時代の天皇で、
病気であった光明皇太后に仕えるためとして退位した孝謙天皇の後に即位しましたが
孝謙天皇時代に起こった橘奈良麻呂の乱のように政争真っ只中の時代で
764年、恵美押勝の乱が勃発し、結果、廃位となり淡路国に配流され、
765年に崩御、称徳天皇(孝謙天皇)の意向により
長らく天皇の一人と認められず、廃帝または淡路廃帝と呼ばれていました。
死因も不明、恵美押勝(藤原仲麻呂)が乱を起こした際には既に関係を絶っていた淳仁天皇が
首謀者の一人として処罰され、死因不明の崩御という不遇、
何らかの謀略を感じますね。
淳仁天皇も崇徳天皇同様に怨霊として皇室を悩まし
772年、光仁天皇は僧侶60人を派遣し、斎を設けて、その魂を鎮めたとされます。

廃帝とされた淳仁天皇でしたが、
1870年8月20日、弘文天皇・仲恭天皇と共に明治天皇から「淳仁天皇」と諡号を賜られ、
1873年には、白峯神宮に合祀されました。

そんな二帝を祭る神社にお参りです。
長かった。書いておかないと忘れそうだけど
書いていてもきっと忘れる。

DSC_6809.jpg

白峯神宮は上記したような神社なので、
いつかちゃんと参拝しておきたかったのです。
すごくついでっぽい流れでしたが気にしない。
怨霊云々なんてなんのその、今やスポーツ関連の奉納や
お守りお札が多くて、
篤い崇敬を受けているなぁと思ったり。
「恐れ多い怨霊」よりも「身近な神さん」のほうが
庶民的で良いね。
彼らを怨霊として恐れたのは、彼らにやましい気持ちがある方々だけですし。
庶民にはスポーツ祈願で賑わって、荒魂から和魂に転じて頂きたいですな。

白峯神宮の境内にいたときは晴れていたのに
出た途端にまた雨雲が襲ってきた。
まぁ、狐の嫁入りだから良いのだけれど、
自転車をあまり濡らしたくない…
前日びしょ濡れで走っていておいて何言ってんだですがw

結局何も食べず終いだった…
市内をうろうろ36キロ。
昨日と違うホテルだったので自転車を置く場所がなく、
仕方がないので京都駅の東洞院通にある手荷物預かり所で
自転車を預かって頂く。
夕方に預けて翌朝すぐに出て行く旨を伝えたら
少し負けてくれた、ありがたやありがたや。


15時過ぎにチェックイン。
このホテルにも大浴場が無いので京都タワーホテルの下の銭湯に行こうか悩んだけど
今日はそれほど走っていないし…備え付けのシャワーを浴びてさっぱり。
駅前の居酒屋を数件梯子して就寝。

明日は大阪へ向かいます。
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[ 2014年01月05日 18:20 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)
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