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【25/5/2】興福寺中金堂

般若寺を後にして、奈良公園へ。
東大寺や春日大社を遥拝。
参拝すると目的地に着けるかわからないので…
奈良公園は思ったより広いので興福寺を探すのに迷ってしまった…
大通りは交通量も多いので、避けたり何なりうろうろするうちに
1時間くらいかかっちゃった…

11:10 興福寺到着

五重塔と東金堂でお参り。
興福寺にお参りするのは4度目かな。
お参りを済ませ、売店へ。
創建1300年記念ご朱印帳2種と売店が記念で1000冊限定で作ったご朱印帳、
計三冊を購入。
1冊ずつ、1ページ目にご朱印を頂きます。
まずは再建途中の中金堂へ。
ご朱印を頂く人で列が出来ています。
書き手も3人。さすが興福寺。

H25050204興福寺中金堂

■興福寺中金堂
創建:717年(伝)
宗派:法相宗
本尊:釈迦如来

興福寺は山号なし。
奈良の古刹には山号なしの寺院がちらほらあります。
創建は藤原不比等。
興福寺は藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、
藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇りました。
中世以降強大な勢力を持った「南都北嶺」とは南都は興福寺、北嶺は延暦寺を表わします。
強訴の際には春日大社の神木の「神威」をかざしました。
なんだか教科書みたいw
寺院というと今では平和の象徴であったり、葬式の時くらいしか縁もありませんが、
江戸時代以前は武力を持った宗教組織という一面があり、
宝蔵院流槍術の祖・宝蔵院胤栄も興福寺の僧兵です。
鎌倉時代以降は各国、大名が支配しましたが、
大和国の守護を興福寺が務めたほどです。
戦国時代になると興福寺の勢力が衰退し、
筒井氏・越智氏・十市氏・箸尾氏の勢力が台頭し、
筒井氏が大和を統一しますが、そんな筒井氏も大神神社の神官・大神氏の一族と言われています。
江戸時代には21000石の朱印を与えられ保護された興福寺ですが、
明治の廃仏毀釈でやはり大打撃を受け、
子院は廃止、寺領は没収され、塀が壊されて奈良公園の一部となってしまいました。
僧も皆、春日神社の神職となり、
五重塔に至っては売却されて燃やされる寸前でした。
非常に痛ましいですね。
江戸時代に既得権益を得た寺院へ庶民による反感が廃仏毀釈を促したとも言いますが
一部不満を持っていた神職や国学者が扇動したとも言われますね。

と、ざっと興福寺についてまとめたところで、
中金堂ですが、現在再建中です。
2018年に完成を目指しているそうです。
楽しみです。

DSC_6997.jpg

再建中なので写真は五重塔と東金堂。
左側に映っている礎石あたりに中金堂の回廊ができるのかな。
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[ 2014年01月11日 09:43 ] カテゴリ:寺院 | TB(0) | CM(0)
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