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【25/5/2】龍田神社

慈光院を出て国道25号へ合流。
途中で法起寺を通った。
前は大阪から奈良市内に向けて走ったけど
今回は逆ルート。
時間があったら法隆寺周辺もじっくり見たいところですが
奈良から大阪に入るためにはまたひとつ峠を越えないといけないので
暗くなる前に余裕をもって走りたい。
法隆寺や生駒周辺はまた今度しっかり見て廻ろう。

というわけで法隆寺の門を素通り。
なんとなく贅沢な気分。。
法隆寺から1キロも走らない距離に龍田神社があるので
こちらをお参りします。
この日は寺院ばかりで神社のお参りをしていなかった。

14:06 龍田神社到着

H25050201龍田神社

■龍田神社
創建:崇神天皇の御代
祭神:天御柱命 國御柱命
   竜田比古神 竜田比女神

聖徳太子が法隆寺の建設地を探し求めていたときに、白髪の老人に化身した龍田大明神に逢い、
「斑鳩の里こそが仏法興隆の地である。私はその守護神となろう」と言われたので、
その地に法隆寺を建立し、鎮守社として龍田大明神を祀る神社を創建した、とのこと。(wikiより
この地には龍田明神を祭る鎮守の社が既にあったけど
法隆寺建立に当たってしっかりした神社を創建したと言う事かな。
ちなみに信貴山の南側にある竜田山の麓にある龍田大社から
法隆寺を建立に当たって大社から分祀して守護神として祀った、ともいわれているので
「崇神天皇の御代」からというのは龍田大社の縁起をそのまま継承してる気もする。

祭神は龍田比古神・龍田比女神の二神の龍田大明神。
龍田明神は風の神で広瀬神社の水神と並び称されました。
広瀬神社は法隆寺の南に位置する大和川・飛鳥川・曽我川が合流する川合いに位置する神社。
水の神といわれる所以もなんとなく解りますが
龍田明神がなぜ風の神なのだろうか。

龍田比古神・龍田比女神は夫婦神でもあり、
龍田明神は白髭の老人であるといったり
夫婦神であるといったり、ややこしいですが
日本の神様はこんなのが多いのでそういうもんだと納得しておきますw
龍田比女神は別名・竜田姫と呼ばれ、秋の神としても信仰されました。
春を司る佐保山の佐保姫と東西・春秋の一対の女神としても崇められました。
佐保姫を祀る佐保山は奈良市の法華寺の北側にあった丘陵で
今でも佐保台の地名が残っています。
竜田姫の「タツ」が「裁つ」に通ずるとして、裁縫の神としても信仰されました。
ここで、風は五行でいうところの木気(東)に配当されているはずなのに
西である「秋」の神とされているのかという疑問が生じますが
東の神(風神)をあえて西に祭ることで
その凶作用を吉に転じて吉の作用である豊穣をもたらす神とした、という説があるそうです。

と、龍田神社というよりは龍田大社の解説のようになってしまった。
後に龍田大社より天御柱命・國御柱命の二神を勧請したため、元々の祭神は忘れ、
現在は天御柱命・國御柱命を主祭神とし、龍田比古神・龍田比女神を配祀しています。
天御柱命・國御柱命については龍田大社にお参りしたら考察しよう。
先送りです。

明治の神仏分離により法隆寺から離れ、龍田大社の摂社となったが
独立の請願の結果、大正11年3月に龍田大社より独立し、県社に列格し、今に至ります。

法隆寺と龍田大社は斑鳩においては切り離せない関係にあるようですね。
この斑鳩の地は元は物部氏の領地でしたが
587年7月、仏教の礼拝を巡って大臣・蘇我馬子と対立した大連・物部守屋が起こした乱(丁未の乱)によって
物部氏が滅びると
聖徳太子は601年に斑鳩宮を造営し、605年に移り住みました。
龍田明神から「譲り受けた」斑鳩の地は
物部氏から奪った土地だった、という読み解き方も出来ます。
そうすると龍田明神の風貌の「白髭」から「白髭明神」へ、
白髭明神は新羅系渡来人の奉じる神であり、
祖が新羅系の金属精錬技術者集団と言われる物部氏にも繋がります。
もし龍田明神が物部氏であるとするならば、
「崇神天皇の時代、数年に渡って凶作が続き疫病が流行したため、
天皇自ら天神地祇を祀って祈願したところ、
夢で天御柱命・国御柱命の二柱の神を龍田山に祀れというお告げがあり、これによって創建された」という
「龍田風神祭祝詞」の由来も
怨霊である龍田明神を鎮魂する行為に見えてきます。
ただ、物部氏の滅亡は崇神天皇じゃないので
過去の時代の出来事に遡ってに今起きた出来事を書くという
「仮名手本忠臣蔵」理論ではないかとも思います。
思いつきですがw
聖徳太子周辺の歴史を調べていくと面白いです。

DSC_7135.jpg

東海道自転車旅最後の神社をお参り。
この先に龍田大社や久度神社が道沿いにあったのですが
もう疲れてしまってそこまで行く気力がなくなりましたw
龍田神社でお参りし、最後のご朱印を頂く。
社務所で少しお話をし、
東京から自転車で(中略)というと驚かれました。
自分がそんな人と遭ったら驚くだろうと思いますけどねw

龍田神社沿いの道は昔の雰囲気が残っていて、
古い建物の酒屋をみて日本酒を買いたくなるも、
自転車が重くなるし、と思って買わず。

王寺町役場を越えて大和川沿いの国道25号を走る。
ちょっとした峠になっているので気合を入れる。
越えれば大阪府。

14:41 大阪府柏原市入り

龍田神社を出てから40分くらいで大阪入り。
思ったより近かったなぁ…
アップダウンよりも交通量の方が怖い。

大阪入りして1時間ほどで目的地の知り合いの家へ。
知り合いは仕事中だったのに家に上がらせてもらって
アニメを見ながらマッサージチェアで転寝。
酷い客人ぶりです。
明日は新大阪まで走って新幹線で帰ろうと思っていたのだけれど
知り合いの計らいで東京までドライブしてくれることに。
18時過ぎに大阪を出て翌日の3時頃自宅に帰宅。
途中のSAでうどんやらそばを食べつつ。

事故らず東海道を走破して無事帰宅できました。
そのうちまとめて本が出来ればいいなぁと思いつつ。
しかし、ブログで書ききるのに8ヶ月もかかってしまった。
新年になったのでまだ去年の前半のお参り記事をまとめているのも
問題だなぁ。
ちょっと頑張って更新しよう。
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[ 2014年01月14日 00:03 ] カテゴリ:神社 | TB(0) | CM(0)
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